自分の顔を大画面にアップで写して平気でいられる人は、仮にイケメンでも美女でもかおかしいと思ってしまった。

パッと見で無理なサイト

なんかすごい評判になっている記事があったから、そのサイトにアクセスしてみた。
まぁ、タイトル的にもスゴイいい感じの文章が書いてある気がしたんだけれども、それ以上に大きな印象に残ったのが「そのサイトの右半分に人の顔がアップで掲載されてる」って事だ。
しかもその顔、マウススクロールしても追跡してくる。
さらには、見出しが変わる度に同じ人の別の写真に切り替わる。
ちょっとポーズが変わったりとか表情が変わったりとか。
さらにさらに、残念ながらイケメンでも美女でもなかった、普通な感じのアレな感じな人だった。

結局の所、その素晴らしそうな記事の文書は正直言って全然入って来なかった。
読めなかった。
なぜならその右半分を占拠している人の顔が不快だったから。
なんか「うわっ」って気持ちが瞬間で100℃を越えてそのサイトから蒸発した。

別に悪くはないけれど、自分には合わない

別にそのサイトの人の顔が普通だったから不快だった訳じゃないと思う。
たぶんイケメンでも美女でも離脱していたのではないだろうか。
理由は単純に、私がどんな人であれ、その人の顔をずっと凝視しているのが苦手だからである。
よっぽど作り込まれた一枚の、ちゃんと綺麗に写真として成立している美しさがそこに存在するのならば、長い時間見ていられるのだが、純然たる人間をそこにボンと置いただけの人間を長時間を見ているのは辛い。

さらにもう一つの理由は、サイトの半分をデカデカと自分の顔をアップで写せるその人の神経って如何なものなのだろうか?という事である。
よくそんな事をしようと思えるなぁ、と感心する次第である。
恥ずかしくないのだろうか。
別に悪い事だとは言わないし思わないけれども、それでも自分の性格や好みからは程遠い所に位置する人間なのだなぁと直感してしまったので、本能的にサイト離脱してしまったのである。

話さなくても伝わること

まぁ、こんなものはただの愚痴である。
自分のサイトに自分のサイトを載っけても何も悪い事なんかない。
そんなの作り手の勝手である。
そして見ないのも読み手の勝手である。

「人間話してみないとわからない」とは言うものの、話す前からでもその人を表す情報ってはアチラコチラに自然と発射されてしまっているのである。

服のセンスにしても、声にしても髪型にしても歩き方にしても食べ方にしても姿勢にしてもサイト構成にしても。
そういう一般的に言語化しにくい要素で人は人を観察して選別していたりするのである。
これこそが俗にいう「類は友を呼ぶ」という事なのだろう。
きっとああいうサイトデザインが好きな人だってたくさんいるはずなのである。
とは言っても、自分と似たような人間とばかり話していても新鮮味に欠ける事この上ないから、たまには自分が「不快だとか、直感的に離れたい」と思う人をよく知ってみるのも素晴らしい経験になるかもしれない。
という訳で、もう一度くらいそのサイトにアクセスしてみようかな。

アドセンス
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スマリッジ
改行

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