不幸のススメ~退屈な人生から脱却する方法~

単調さは退屈さである

生まれてから超高級食材で作られる美味の類しか食した事のない人間は、きっと高級料理に対して幸福を感じる事はない。
しかし、生まれてから貧しい食事しか口にしか事のない人間は、高級料理に対して感動と幸福の連続が訪れるであろう。

この場合、前者は幸福を感じてはいない。
なぜなら当たり前だからだ。
しかし、後者は違う、高級料理を食した時に間違いなく幸福を感じている。

このような現象について思う事は「多少の不幸は幸福を出現させる」のかもしれないなぁ、という事だ。
無論、不幸マニアになれ、という事ではないけれども、日常的に行っている事に人は感情を揺さぶられたりはしないのである。

例えば、毎日の同じ食事に毎回同じ感動を得る事は非常に難しいけれど、その食事を5日間くらい辞めてみて、つまりは5日くらい断食してみた後の食事は感動的な美味しさであるだろう。

つまりは、幸福と不幸の波の連続が人に幸福やら不幸を体感させるという事だ。

毎日贅沢な食事を食べ続けている人は、確かに不幸を感じはしないだろうけれども、それと同時に幸福を感じる事もないのではないだろうか?毎日に飽き飽きしていて退屈なのではないだろうか?
いくら高級な乗物でも、いつも同じスピードで何の起伏もなしに真っ直ぐ進んでいては何も面白くないだろう。

楽しさとジェットコースター

という事で、どうだろうか?ここは一つ不幸になってみませんか?毎日がつまらなくて退屈で仕方がないのならば、不幸という名のジェットコースターの方が面白いのではないだろうか?
人生がつまらない。
というのと、人生が不幸である。
どちらがいいのか?その好みは人によって分かれるだろうし、そもそも「面白くて幸福なのがいいに決まってんだよ!」というツッコミはなしで考えるのならば、将来性があるのは「不幸な人生」だろう。

不幸というだけで他人に話す時のネタになる。

不幸というのは過酷な環境であるということだから、それだけ人を成長させる。
つまらないという事は何もないという事だからネタがない。

つまらないという事は退屈な環境であるということだから、一切人を成長させる事はない。

この両者を比較し、どちらが「将来的には裕福で幸福な人生」を獲得できるだろうか?それは前者であることだろう。
「昔は全然メシが食えなかった!的な体験談」とか「過酷な人生だからこそ身に付いた知恵!」みたいな感じの書籍はかなり好調な売れ行きを出している。
不幸は金銭や幸福に化けやすいのである。

楽しい人生のために

ってな感じで毎日毎日が退屈で死にたい、って思うのならば不幸になってみてはどうだろうか?すぐに幸福にはなれないがすぐに不幸にはなれる。
やりたくない仕事やらやりたくないボランティアでもやればいいのだ。

それができずに退屈を嘆き何もしないままでいるのであれば、残念ながら退屈なのは人生ではなく、その人そのものなのである。
あなたの不幸と幸福を願う。

アドセンス
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スマリッジ
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