3日間連続の花火に感動できるか?

夢と芸術の花火

最近、花火を見た。

何もない空に、雲しかない空に、大きな花を咲かせる。

いつもは下しか見ないで過ごしている人でさえも、この時ばかりは誰もが皆、呆けたように上を向く。

呆けた、見惚れた、つまりは釘付けだ。
それくらいの威力が花火にはある。

空に咲く花。
ならば雲は土なのだろうか。
世界が逆転したような心地だ。

日常の繰り返しの退屈なこの現実を、かつてない程のファンタジーな世界に変貌させる。
現実から架け橋なんてすっ飛ばして夢の彼方に連れて行ってくれる。
それが花火。

誰と見るか、いや一人で見ても最高だ。
今、どんな状況であろうとも、空に花が咲いた瞬間には見た人の脳内にも花を咲かせる。
心のモヤを吹き飛ばし心に花を咲かせる。

爆発で心のモヤを吹き飛ばし、花で心を綺麗に染め上げる。

芸術は爆発で、そして何より美しい。

花火は芸術の象徴である。

連続三回目の花火は飽きるな。

心に浮かんだ感動を文字にしてみると、私はどうやらとんでもない体験をしたようである。

なるほど、昨日の私はとんでもない光景を目にしたそうだから、当然今日の私もそれを見たいと思う。
ならば見るのが必然であろう。
見た。
まぁ綺麗だった。

うん、そりゃあ綺麗だったさ、まぁあれだよ。
空にあんな色とりどりの綺麗に光が飛び散るんだから、そら綺麗でしょう。
言われなくても皆そう思うでしょう。

あぁ、良い物みたなー。
なんてそんな心地で寝た。

はい、次の日。
いやさ、次の日もなんやかんやで花火を見る機会があった。

え?花火が綺麗だったかって?まぁそら綺麗だけども。
だから何?、、、いやだから綺麗だって、すごかったよ。
うん、スゴイスゴイ、さいこー。
俺、一生この光景をわすれないよー。

何?なんか心が篭ってないって?いやいや、そんなことないよー、しんじてよー。

なんだって、連続で繰り返せば慣れて飽きるんだよな

きっとこれから、私がどんなに美しい光景を目にしても、どんなに素晴らしい体験をしたとしても、私の優れた脳みそはそれを吸収して鈍化させて感動を薄れさせてしまうだろう。
言ってしまえば成長である。
だがそれは飽きでもある。

まぁ、美味いものでも好きなものでも毎日何度も食っていたら飽きるっていう当たり前の理屈だよな。

あんな素晴らしい花火だって飽きたのである。
ならば今後どんな体験をしたって飽きるだろう。

だから、同じ事に対して私は何度も感動する事はできないだろう。
ならば、同じ事に対して何度もプラスの感情を持ち続ける事はできないのだろうか?そう考える。

仕事にしても、鍛錬にしても、結婚生活にしても。
大切な事は似たような事の連続の繰り返しじゃないか。
そこにプラスの感情を持ち合わせる事ができないのならば、人生はつまらなくなってしまう。
まるで感動のない人生。
三回連続で花火を体験した私には、それが恐ろしい。

別に毎日感動したいとは言わない。
しかし毎日をプラスの感情で埋め尽くしたい願望はある。
ならばその時に必要な感情とは何か?
ってなると、まぁそれは感謝しかないのだろう。

仲の良い夫婦が一緒にいるとセロトニンっていう安心感と幸福感を生むホルモンが出るだそうな。
それは幸せなものらしい。

安心だったり、感謝だったりがセロトニンを出すらしい。
どうやら似たような繰り返しにも、ちゃんと打開策はあるようだ。

何度も見る花火に「ありがたい」と思えるのならば、毎日行う仕事を「ありがたい」と思えるのならば、毎日会う家族に「ありがたい」と思えるのならば、平凡で似たような事の繰り返しの慣れた人生にも、花が咲くかもしれない。

それは静かで穏やかな爆発であり、大きな花である。

その花を咲かせるためには、日々の積み重ねと日々に対する感謝が大事なのだろう。

アドセンス
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スマリッジ
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