偽りの安心感をあげるから、その代わり金をよこせ。

雇われは大金持ちになれない

雇われる人が大金持ちになる可能性は低い。
何故かと言うならば、誰かに養ってもらっているからである。
安心だからである。
深く考えなくても大丈夫だし、いざとなったら逃げられる。
要するに、楽で安心安全なのである。
その分の料金が給料が天引きされているから、雇われる人は収入が低く、お金持ちになる可能性が低い。

安心感。
今の時代は正社員でも簡単に首を切られる可能性があるという事だから、皆が皆、絶対的な安心感を抱えて日々を過ごせている訳ではない。
だが、それでも正社員の安心感は、そうでない人達に比べれば高いのである。
逆に自分で事業を起こしている人は、金銭にこそ恵まれているケースもあるが、それでも「いつダメになるか分からない」という不安感は人一倍強い。
だからこそ、貰える物はちゃんと貰える。
そう考えるとなんだかんだでバランスは取れているのである。

そう考えると、不安定な身分の低収入という状態はできる限り排除されるべきだし、できる限り自ら避けていくべき状態である。
何にも得しないからである。
そしてその逆の安定して高収入という存在を作り出しているのも問題である。
不幸な人が存在するのは当然問題であるが、不当に幸福になっている人も案外問題だったりするのである。
ロクな努力をしないで手に入れる幸福ってのは、案外幸福度が低いからである。
結局の所、バランスの取れない状態というのは幸せになる人間の数が減少してしまうのだ。

リスクと収入

まぁその辺のアンバランス問題はともかくとしても、給料の低さを嘆くのであれば、安心感を売り渡して挑戦して高い給料をゲットしに行けば良いだけである。
天才的なアイデアが生まれて素晴らしい世界で生きられる保証なんてどこにもないけれど、昔自分が居た場所の素晴らしさくらいは理解できるようになるだろう。
離れてみれば、今現在自分が居る場所も結構良い所なのである。

退屈と安心感はセットみたいなものである。
安心しながら刺激的ってのは言葉の上だけのものであり成立しない。
それを求めて会社に文句をつけるのは、さすがに大人がやる行為ではないだろう。
興奮高揚を求めるのならば、不安を受け入れねばならない。

現代の正社員などのポジションの安心感というのは偽りに近いものかもしれない。
だが、それでも安心感であることに代わりはない。
だからその分だけ収入は減るのである。

紛い物の安心感を後生大事に抱えて退屈と低賃金に生きるのか、不安感で身体を引き摺って興奮と「あるかもしれない高収入」を求めて生きるのか。
まぁ、結局は好みである。
完全はない。
それを知れば文句は出ないはずである。
それを知れば諦め心境による比較的優位な幸福感と選択の自由が生まれるのである。

アドセンス
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スマリッジ
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