自己紹介とは、「如何に自分がこの環境に適している人材であること」を主張する行為である。

自己紹介で何を話したらいいかわからない人へ

自己紹介ができない人は自分を客観視できない人間である。
自己紹介ができない人は自分をプロデュースする能力がない。
自己紹介ができない人は周囲に自分の魅力を伝える能力に欠けている。

まぁ、ここまで酷い言いようで断言するつもりはないけれど、「自己紹介で何を話したらいいかわかんないよ!」っていう愚痴を社会人になっても言っている人はちょっと考えものである。

就職活動ってやらなかったのね?と言ってやりたい。

自分勝手な意見にはなるけれども、自己紹介とは「自分という存在が、紹介する相手にとって有益である事をアピールする行為」である。

ただ、自分の好きな事をダラダラと話す事でもないし、ふと思いついた中二病臭い主張を自己中心的に話す事でもないし、周囲が嫌いそうな話題に率先して触れる事でもない。

紹介する相手に対して心地よいと感じられるであろう接点を提案する行為である。

相手が音楽が好きそうなのであれば、自分の中にある音楽的な特徴を自己として紹介する。

落ち着いた会話を好みそうな相手であれば、自分は「休日はずっと猫とまったりと過ごしていました」というエピソードを介して自分を語る。

要は、「相手の好ましく感じるポイント」と「自分の特徴」を繋ぎ合わせる事こそが、自己紹介の大事な点である、と私は思う。

就職活動でダークソウルの話なんかしないだろう、そこに自己紹介の本質がある。

まさか就職活動で自己紹介をして下さい、と言われた時に「私は最近ダークソウル2にハマっていて、ようやくマデューラに辿り着いて、筋力レベルを2上げる事に成功しました!めっちゃ嬉しかったです!」なんて発言をした阿呆はいないだろう。

なぜ、この発言が阿呆かと言うと、採用担当の人間は「我が社に役に立つ人間こそが有益である」という価値観を持って面談に望んでいるからである。

もしも、この面接官がダークソウル2が大好きで、飲み屋でばったり出くわしてこの自己紹介を聞いたのだとしたら、二人はきっと親密な関係になれるであろう。

人の思考は、その人間単体だけで有している訳ではなく、「その人の思考プラス、その人の存在する環境」によって決定される。

その点を踏まえて自己紹介をするべきである。

自己とは何か、なんて考えなくてもいいと思う

少し話は逸れるが、自分とは何か?自己とは何か?なんて事を一々考える必要は私はないと思っている。

なぜなら、自己なんて存在は、生まれた時から今現在まで連続して一つの存在として錯覚しているだけであり、実の所は今この瞬間にも細胞は入れ替わり、新しい体験と知識を仕入れる度に人格は変換されていっているからだ。

そもそもの自己という存在が錯覚の幻覚なのだから、「私とは何か?」と考える事がそもそもズレているのである。

今現在望んでいる事を過去の私は毛嫌いしていたかもしれない。

今嫌いで仕方がない事を未来の私は愛してやまないかもしれない。

それに近しい体験は、誰にでもあるのではないだろうか?

絶対なる自己が存在しないのだから、その場その場で最適な自己を構築する事が薄弱である訳もないし不義理である訳でもないし節操がない訳でもない。

その時の私は、その思考と行為が最適であると信じて行動するのである。
一時間前の私がまるで別の思考を有していたとしても、今現在の私の思考が絶対なのである。
なぜなら、一時間前の私と今の私はまるっきりの別人だからである。

まぁ、これを他人に言い聞かせたら詭弁であり責任逃れであると非難されるであろうし、昔の自分と今の自分が別人であると言っても、昔の自分が悪い事をしたら今の自分が罪を受ける事になるのは、言うまでもない事である。

「人はいつからだって、好きなように変わっていける!過去にとらわれる必要はないんだ!」
といったようなポジティブな話をするつもりではない。

「自分とは何か?」という事を悶々と思考して大切な時間を無駄にして、「確固として存在する自分」という錯覚で「今この瞬間にいる自分」を縛り付けるのは馬鹿馬鹿しいという話である。

自己のステータスを正しく認識する事は大切だが、自分とは何か?をいつまでも考えるのは無駄。

建設的な人生設計を作成する事は大切だが、人生とは何か?をいつまでも考えるのは無駄。

伝えたい事が上手に伝わったかはわからないけれど、まぁこんな感じである。

アドセンス
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スマリッジ
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