「いかにミスしないか」っていう勝負を人間オンリーで行うってのは時代遅れなのか。

人間はミスする生き物

どんなに気をつけても人間はミスをする。
それこそ毎日繰り返されるような仕事だったりしても、何回も練習を繰り返した事であっても、成功確率は上昇するにしてもミスが絶対に発生しない。
なんてことはない。

そのミスから人間は反省して「今後はミスしないようにしよう!」っていう反省を行うのだけれど、その反省から導かれる改善点って奴が重要なんだと思う。

つまりは、その改善点って奴が「もっと練習して成功率を上げよう!」って発想。
人間の能力を高める事でミスを減らそうって発想。

これってどうなんだろうか。
人間の能力を過剰に信じてしまっているのではないだろうか?ってな事を思う。

そして、ミスを減らす努力は人間以外に託した方が良いのではないか?人間は人間だからこそできる事に注力した方が良いのではないか?と思う。

簡単な例で言うならば、チェックシートを用意してそれに沿って作業を進めていくとか。

(私の体験であるが、チェックシートを無視して自分の脳内だけで作業を進めようとする人間のミス確率は高い。)

複雑な話ならば、プログラムでも作って、繰り返しでミスは許されない単純作業なんかを機械にやってもらうとか。

そういう方向への努力を行ってミスを減らす努力をするべきなのではないだろうか。

「いかにミスをしないか」っていう競技ってあんまりテンション上がらない

どうしてこんな事をふと思ったのかと言うと、「いかにミスをしないか」「相手のミスを待つ」「相手のミスを誘う」という所が勝敗の分かれ目になっている競技を見る機会があったからだ。

まぁ、それはそれで私には新鮮であったから、それなりに楽しめたのだが、それでも腑に落ちない部分があった。

それは「足の引っ張り合い」にも見えてしまうし、進化の伸びしろがあまりにも少ないし、その割にはストレスは物凄く溜まるという印象を抱いたからだ。

「労多くして功少なし」

そんな事に全精力を費やすのは如何なものか?と個人的には思う。

どんな勝負をするのか?勝敗よりも大切な事。

勝ち負けは無論重要だ。
戦うのならば勝つ。
その意気までをも否定するつもりはない。

しかしそれ以上に重要なのは、「勝負によって何を得られるのか?」ってことだろう。

「いかにミスしないか」って観点だと、あまりにも得られる経験値が少ないし、何も技術が発展しない。
仮に鍛錬の結果として「一切ミスがない人間」が誕生したとしても、その人間が死んでしまえば、何も残らない。

勝負の結果として周囲に何を残すのか。
または未来の自分に何を届けるのか。
そういう観点で勝負を考えてみても良いのではないだろうか。

アドセンス
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スマリッジ
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