「ヒゲ抜きが上手な人」and「マメにヒゲ抜きする人」がモテる理由

当たり前の事に対して疑問を感じる人はいない

ヒゲが生える事について疑問を感じる事は少ないだろう。
植物が生え、そして育ち、果実を実らせ腐っていく。

そんな当たり前の事についてとやかくケチを付ける人間はいないだろう。
自然から生まれて自然に生かされてるという点ではどんなに高度な科学技術を所有している人間だって同じ事なのだから、それは当然だろう。

だから私達はヒゲが生えることについて疑問を感じる事はない。

ただ生えたから剃ったり抜いたりするだけだ。
煩わしいと思うことはあるけれど、憤ったりはしないはずだ。
そんな心理状態はきっと何かを受け入れている時の心理状態なのだろう。

ヒゲが生える事を受け入れたのはいつの事だろうか?思春期の頃からだろうか?
大人になっていく証拠であり、面倒事が一つ増えた事であり、自分も自然の一部なのだと実感する事でもある。

あなたにとって、ヒゲとはなんですか?

ヒゲの捉え方は人によって様々だろうし、活用の仕方もそれぞれだ。

オシャレにヒゲを揃えてモテる人もいるだろうし、単純に邪魔な毛だと認識する人もいる。

オシャレに活用できるのならば、もう何も言うことはない。
オシャレなんだからモテるに決まっているし、「ヒゲを抜くのか上手な人は」っていうタイトルなんだから、揃えたり伸ばしたりするのは管轄外だから別の部署に行って欲しい。

要は抜き方だ。
ヒゲの抜き方が重要なのだと思っている。

ヒゲを抜く、または剃る人にとっては当然ヒゲは邪魔な存在である。
だからヒゲを抜くのである。

邪魔な物を撤去して景色を綺麗にする。

それがヒゲ抜きの目的である。
不自然に生えているヒゲなんて無様そのものであることに違いない。

皆からの目線を気にするからこそ人はヒゲを剃る。
ヒゲを抜く。

ヒゲと本題

で、それがどうモテと関係あるんだよ?ってのが重要である。

別に剃るのはいい。
あんなのはクリームとお高い髭剃りマシーンがあれば、綺麗に剃れるのだから。
でも、現代の科学技術を駆使しても、剃りきれないヒゲがある。
微妙に余った毛が顔面に貧弱に、しかし大きく自己主張している。

綺麗な道に一本だけちょこんと花が咲いていたら間違いなく目立つし皆注目するだろう。

それと同じ理屈で、人はその綺麗な肌にひっそりと咲くヒゲを見つめてしまう。

だから人はヒゲを抜くのである。

ヒゲを抜くのにもコツがいる。
当然、ヒゲ抜きでヒゲを抜くのだが、ヒゲ剃りで剃った後のヒゲってのは非常に抜きにくいんだよね。

だって、剃られた後だから掴みにくい。
掴んでもすぐに滑って離れてしまう。
離さないように強く握りしめるとヒゲは抜けないで途中で切れてしまう事もある。

そうするとヒゲを掴む難易度は急上昇するし、ヒゲが滑る確率も激増する。

無理をすればするほどに悪循環に陥ってしまうのがヒゲ抜きなのである。

ヒゲ抜きでじっくりと攻める事ができる人はモテる

ヒゲ抜きが上手な人ってのは焦らない。
ヒゲを掴んで離さない事にまず注力する。
引っ張る力は徐々に高めていくのであり、急激にその力を高めてヒゲに強い刺激を与えたりはしない。

ヒゲと皮膚が少しずつ離れていくをじっくりと見守る。
これができる人間がモテるのである。

人の心はヒゲと同じ

人の心を即座に変える事は不可能である。
無理やりに変えようとしても、反発されるかキレられるだけである。
余計に心が離れる結果になる。

だからこそ、心がゆっくりと変化していけるように、自分はその手助けをすれば良いのである。
自分が全てを変えようとしなくてもいいのである。
心が変わろうとする意志を尊重するからこそ、心は大きく変わる事ができる。

我々にできる事は誘導する事、支える事、手助けする事だけなのである。
ヒゲについて、いつもそういう心で接する事ができる人間は間違いなくモテるに決まっている。

アドセンス
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スマリッジ
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