社会で友達を作るのがどうしていけない事なのか?

社会生活でも友達は甘えですか?

よく意識高い系の人が言うやつ。

「社会人になって友達とか言う人って何考えてるのか意味わかんない」「ビジネスパートナーなんだから、友達みたいに甘えたらダメだよね」「仕事には遊びに来てる訳じゃないんだよ」
みたいな事を平気で偉そうな顔で言いふらす奴。
人の表情で感情が全て読み取れるとは言わないけれど、奴らは絶対に悦に入っているし、人を見下している。

その癖にアイツラって飲み会の席では当たり前のように無礼を働き無礼千万であるし酔って介抱されまくりなのに、何の罪悪感も感じていないようだ。

日常生活でも人を馬鹿にするし、全然頼りまくっているし、その癖陰口とかめっちゃ叩く。

(にも関わらず、奴らはそれを陰口悪口ではなく、アドバイスや正当な批判だと考えているようである)

こういう奴らがいるから意識高い系ってのは馬鹿にされるし煙たがられるんだろうなぁ、と思う。

やっぱりそういう人達って自分に自信がなかったりするのかね?それを隠すために周囲を必死で攻撃していたりするのかね?弱い犬ほどなんとやらって奴なのかね。

その辺についての真偽を証明する方法はないのだけれど、そんな奴らは若い人達に多いのと、いざという時には何の役にも立たない事を考えると、そうなんじゃないかと勝手に考えている。

金取りゲームで競争相手と仲良くするってこと

で、タイトルに戻るけど。

(というかこれからタイトルが始まるけど)
社会生活で友人を作るってはどうなんだろうね。
やっぱリスキーかね。

社会生活の目的っていうのは、何がどうあっても金銭を稼ぐためにあって、それ以外の要素は全て過程であり手段でありただの駒である事は揺るぎない事実である。

であるならば、人間関係やら友情らしきものだって、金銭に変換するためのカードの一つに違いないのだから、それをいつまでも大切に取って置いて換金しないというのは愚の骨頂なのだろうか。

例えばババ抜きで、いつまでもカードを捨てないとか、ババを大切に持っておくとか。

そんな事していたら絶対に負けるのは目に見えている。

金銭をいかに多く稼ぐか、というゲームの中で、友達を換金する人と換金しない人がいるのならば、前者が勝つに決まっている。

そんな当たり前の事は誰にだってきっと理解はできているのだろうが、実際問題、縁や情によって生活を崩壊させている人だってごまんといる。

しかしその逆で、社会人でありながら友情の名の下に結託し、大きな成果を上げている人だっている。

友情は存在する!という幻想を持った人間が二人肩を並べて共に歩くのならば、その間、それは真実になり得るのだ。

考えたけど、やっぱわかんないです。でもそれでいいんです

だから、簡単に友達を作る事がいけない!とは言わない。

友達のメリット・デメリットを精密に分析するのが良いとも言わない。

(その時点で友達の友達らしさは失われてしまうだろう)

結局こんなのはよくわからん事なのである。
蓋を開けてみなければわからんのである。

人間なんて顔で全力で笑っていても腹の中は地獄の業火だったりするから、どうにもわからんのである。

ちょっと関わった人間について、あれやこれや分析をして偉そうにその人の全てを知ったようにベラベラと話をしまくる人もいるが、そんな人間ってのは簡単に理解できるものではないと私は思う。

要は全然わからん何かの集合体がウジャウジャと蠢いている、まるでわけわからんこの世界において絶対に正しい何かなんて絶対にないだろう。
というのが私の見解である。

何の答えにもなっていないけれど、わからんという結論、つまりは答えは出たのである。

結論を出すことが正しいのではない。

わからない物をわからない物として認識して扱うという思考回路もまた大切なのである。

アドセンス
改行

スマリッジ
改行

toppage