ブロガーが長文にて見出しを使用しない、ということは読者に息継ぎをさせないのと同じ。

最近見出し付けてないや

自分でタイトル書いて本当にその通りだと思う。

長文になればなるほどにこれは説得力を増すと思うね。

だって小説とか読んでても現代社会の時間がない人達からすれば、即座に中断ができるシステムって物凄く重宝されるんだよ。

それが小説で言う所の途中の番号であるしサブタイトルなのである。

ブログで言うならば、それは見出しである。

見出しってのは要はサブタイトルなんだよ、マイルストーンなんだよ

見出しを書くことによって、読者は今何についての文章を読んでいるのか?という事を言語的視覚的に理解する事ができる。

それと同時に書き手からしても、読者に伝わりやすいようにテーマを細分化して語るという行為がより円滑かつ確実に実行できるようになるし、何よりサイトデザイン的に見出しを入れると見栄えが良くなる。

中間目標ってのは計画でも文章でも大事って話である。

だから見出しをつけよう!っていうのは理解できたんだけど、それは結局の所、最終的に校正する側の、第三者視点側の意見であることに気が付かされる。

文章を夢中で書いている時に、いちいち筆を止めて見出しをつけようって気にならないんだよね。
どうにもこの勢いを止めたくない!って気持ちの方が先行してしまって、次に何を書くかor今の文章をより向上させるにはどうしたら良いのか?ってことに注力してしまうのである。

ほら、後ろを振り向いてそれに細かく名前を付けるよりも、未来をどう面白く創り変えていくかどうかの方が魅力的に感じるタイプなんですよ、私って。

まぁ単純に面倒なだけであって、それを綺麗事で誤魔化そうとする奴にロクな奴はいないのである。

アクセスが欲しいなら見出しを付けろ

だから感情抜きで理路整然とした考えでブログの良し悪しを考えるのであれば、やっぱり見出しはつけた方が良い、という回答が導き出される。

されにはどうやらSEO的にも優しいらしい。
アクセス数がアップすればされに気力が高まるから長期的な観点からしても見出しは良い物なのだ。

でも見出しを付けるのは面倒!どうやって見出しを付けたら楽なのだろう?

さて、ではどんな見出しをつけようか?どうやったら見出しを細かく付ける事ができるようになるのか?
という点がテーマになってくる。

だって単純に自分の思いの丈をぶち込んだだけのブログに対して、最初から細かいテーマが決定されている訳がないじゃん。

一つの思いを一つの記事に。
ブログを感情を言語化してぶつける行為だと認識している人からすれば、これは当然の理屈だ。

見出しに意味なんかなくていい

だからそんな人への対処法は、「文章と見出しに関連性なんてなくていい」である。

とにかく自分の書いた文章を読んでみて、感じた言葉をそのまま書き記せばいい。

読み手からすれば中間ポイントがあるだけでも嬉しいだろうし、一見繋がりの見えない何かでも無理やり繋げてしまえばそれなりの意味が発生するものなのだ。
人間の脳味噌は優秀かつテキトーなのである。

だから一行読んだだけでなんらかの感情が言葉と共に湧き上がってきたら、それを打ち込めば良い。

一行に対して一つの見出しでも良い。
多分良い。
SEO的にはどうか知らないが良い。

長いこと読んでもなんら感情が爆発せずに自分の心から言葉が浮かび上がらずに、長文が形成されてしまったのであれば、加筆修正が必要である証拠だ。

ブログを感情の吐露として意義付けている人が、書いた文章に対して感情味を感じられないなら、それは何か書き足りない物があるに違いないからだ。

習慣が人生を変える。だから見出しをつけよう。

日常的に行う習慣の良し悪しが人生の良し悪しを決めるという。

見出しは間違いなく良い習慣であるから、文章を書く人は付けた方が良いのだと思う。

アドセンス
改行

スマリッジ
改行

toppage