【会話のモヤモヤ感】コミュニケーションってのは相性の問題もあるから、ドジっ子だったり迷惑キャラが愛される場合もある

会話が終了した後の脳内反省会が毎回大盛り上がり

もっと話を盛り上げられなかったのだろうか?という自責の念に押し潰されて悶々と長時間思考してしまう。

どちらかと言うと私は普段はおとなしい感じに振る舞っているから、あんまり喋らない。

相手の話を促すために私が湖に石を投げるように話をするのが通常だし、基本的にはそういうスタイルが好きだ。

要は待ちのスタイルである。

挑発して相手に攻撃させて、いい感じのサンドバックになって気持ちよくなって貰えれば最高である。

これだけ書くとなんかMっぽいな、いや痛いのは嫌だよ。
私は相手を喜ばせるのが好きなのであって、その結果としてそういう感じになっているけれど、それは私に内包されているS的な精神がそうさせるはずである。

なんやかんやで私だって、私が関わる良い人については幸福になって欲しいと思ったりもする。

「待ちVS待ち」の勝負ってやってる方も見てる方も大変!

だから、相手の話を聞く。
そのために話す。

だから問題が生じる。
相手も同じタイプの人間だったらどうすんだよ?話続かないじゃん!
ってな感じで続かなかったのである。

でも両者とも気は遣えるタイプであるから、なんとか会話を楽しくしようと盛り上げようとするのである。
で、その無理してる感が余計に会話をもやっとした微妙な感じに醸成させてしまうのである。

目的がないまま、方向性も曖昧なまま、速度もなんだか鈍行で、時間制限によってゲーム終了みたいな。

人生的にもバラエティ番組的にも全く盛り上がらないような内容で会話が終了してしまう。

さらには、なんか会話が終わる感じもなんか微妙である。
気を遣う(気が弱い?)人同士だと、はっきりと終わりを明示できなかったりするから、終わりも曖昧である。

とにかく適当な口実を付けて、これ以上被害が拡大しないように切り上げようとする。
この「ようとする」って所が重大かつ甚大だ。

要は、しようとするだけで、はっきりとそれを実行する訳じゃないから、ズルズルのダラダラなのである。
なんともスッキリしない。

「迷惑を掛ける」という気遣いもある

そんな結果を受けて考える。
どうすれば誰とでも会話を楽しく行う事ができるのか?

で、出た答えは単純。

「相手に迷惑を掛けるという気遣い。
相手に気を遣わないという気遣い」が存在するのだから、そのスキルを高めて思う存分行使するべきなのだと。

ありがた迷惑と言うものがあるように、「迷惑ありがた」みたいな何かが存在する、という話だ。

誰かを助ける事で救われる人がいるって事は厳然たる事実だ。

だから、ちょうどいい感じで助けられる能力ってのが人間関係では重要なんだと思う。

全くの完璧人間なんて可愛くもなんともないのである。

ちょっとドジっ子的な要素があった方が愛されるのである。

自己開示や依存なんて能力はまるっきり悪い能力ではないって事なのだから、要は物事は使いようだ、ということなのだろう。

アドセンス
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スマリッジ
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