「初」っていうのは愛されるものなのだろうな。とにかく区切りを付けて新鮮が生まれるから、新年はめでたい。

新年があけましたら何がめでたいの?

「新年あけましておめでとうございます」
と言われた所で何がめでたいのかなんてさっぱりだ。

そんな事はもうすでに共通認識であるけれど、とにかくイベント好きな国民性と、とりあえず喜ばしいのだから喜んでおけばいいというポジティブな考えによって、毎年新年はめでたいのである。

歴史を遡れば、当然新年がめでたい由来なんてものはいくらでも出て来るだろうけれど、その意味を明確に認識している人はいない。

(なんやら、年神様をお迎えするからだとか、昔の年齢計算は数え年計算で、1月1日にみんな年をとるからめでたいとか、そんな感じらしい。
まぁでもそれを明確に認識してめでたいと感じている人はほとんどいないだろう)
深く考えずに、めでたい事はめでたいのであるし、そう考えられる人の精神は間違いなくめでたいのである。

現代的な新年のめでたさってなんだろうか

さて、とにかく昔から伝えられているめでたさなんかは今の時代においては大きな効力を発揮していない。

そして、現代の新年はただ単純にめでたいからめでたいのである。
それはそれで別に悪い現象ではないのだけれど、何かが存在するとそこに意味を求めてしまう人間も一定数存在するのだ。

私もそんな人間の中の一人なので、その理由を無理やりひねり出してみた。

「新鮮さ」という価値の定期的な生成

人は新年を迎えるとやる事がある。

代表的な例で言うならば、「初詣」である。
この他にも、初夢、初売り、初笑いなんて言葉は当たり前に使用されているし、世間一般で使用されていないくても、「新年初めての食事」、「新年初めての会話」、「新年初めて会った人」なんて事も意識されたりする。

とにかく「新年」という単位で物事を一旦リセットして新鮮さを回復させるのである。

それによって、私達が日常的に行っている行事についても、「新しさという価値」を復活させる事ができる。

擬似的な新しさであっても、人はそこに価値を感じるのである。
マンネリ解消、日常的な行事についての新たな観点なんかを生むのであるから、これは画期的なシステムだろう。

「リフレッシュ」をテクニックとして利用しよう

リフレッシュとは、古い物を新しい物に変換する素晴らしいエコのシステムである。
何十年も前に売れた本を表紙だけ最近売れてる漫画家さんに描いてもらって、再度販売する手法で大儲けする人がいる。
店の評判が悪くなったら、看板だけ変えて同じ商売を行うと、売り上げが回復したりする。
タイトルに「新説・新約」とか付けると内容はさして変化がないのに、結構売れたりする。

リフレッシュと言っても、本質的に中身が新鮮さを取り戻した訳ではないのに、新鮮さを顧客に感じさせる事ができる。
これは新年にしたって同様である。

実際に新しくなくても、「新しい感じ」がすればそれで新しいのである。

その事実に気がついてしまうと、少し退屈な気分になるけれど、新たな観点で新鮮な気持ちで既存の物に接する事が新たな喜びや発想を与えるのは言うまでもないから、これはこれで重要な効用なのである。

ということで、新年あけましておめでとうございます・イロトカタです、今年もよろしくお願いします。

アドセンス
改行

スマリッジ
改行

toppage