名前の役割、意義、そして効果的な使用方法なんてものを考えるのは自分の名前が気になった時に決まっている。

名前を変えた

どうも、イロトカタです。

名前を変えようかな、どうしようかな、なんて話をしてからもう1日が経過している。

自分の名前を決めるのにこんなに悩んでんじゃねぇ、って話である。

別に一生使用する事が確定された訳ではないし、たかが10文字にも満たない文字列の並びを決定するのに、これだけの時間が掛かっているのは由々しき事態である。

まぁ、なんであれ私は名前を変えたのである、「山田わそう」から「イロトカタ」に変更したのである。

なんだよ、イロトカタって、なんか意味あんのかよ?

絶対にないよね?もしくはすっごい中二病的な意味がつけられた恥ずかしい感じの意味だよね?

自分で命名してそう思うのだから、他人からすればもっとスゴイ印象があるのかもしれない。

そんな批判を自分自身に行いながらもやっぱりとりあえずそうする事に決定したのだから、そうするのである。

どうしてこの名前にしたのか、どんな意味があるのか?

名前を付ける時には、特に人の名前を付ける時にはそういう事を考えて命名するのだろう。

でも別に今回はそんな事を語るつもりはない。

自分の名前の由来を自分から語りだすなんて事は、中二病的な名前を付ける事以上に恥ずかしい気がするからだ。

自分語りは恥ずかしい物である、という主張をブログという自己主張の塊みたいな媒体で行うのである。

頭隠してケツ丸出しである。

どうにも物質的に視覚的に行われる恥は理解しやすいけれど、抽象的な概念、思考のレベルだけの恥というのは見過ごされてやすいし、自分自身でも気が付きにくい。

その事実に気がつけただけもいいのかもしれない。

まぁ、それもどうでも良いことである。

せっかくタイトルに「名前の役割、意義、そして効果的な使い方」とかエラソーな事を書いてしまったのであるから、それなりの説明をしないとマズイ訳だ。

先にタイトルを付けると、どうにも立派な事を言いたくなってしまって困る。

自分が通ってきた道、作り上げてきて道を振り返ってみれば、こんなタイトルを命名できる訳がないのだが、理想は大きくなるものであり、現実はどこまでも現実なのである。

そこはブログタイトル通り、理想とリアルの折衷案でいきたい所なのだが。

まぁ、それも気がつけただけでも儲けもんだろう。

名前の役割

で、名前の役割である。

最初の目的としては「分断」だろう。

物質を分類するために記号を割り当てた。

それだけの事である。

今現在でもその役割は十分に果たされている。

名前の意義

続いて、名前の意義である。

名前に意味を付ける事により、自分の方向性を変える事ができる点である。

例えば、「焼肉食べ太郎」という名前を親から命名されれば、焼肉を食べる事を意識せずにはいられないだろう。

必然的に焼肉を食する機会も増えるだろう。

これは名前によって、自分の人生の方向性が変わる端的な例である。

優しい人に育って欲しいから、優太郎。

強い人になって欲しいから、強(つよし)。

好きな俳優みたいにカッコイイ存在であって欲しいから、健(けん)。

だとか、そんな感じで付けるのである。

これは名前がただの記号ではなく、意味を持っているからこその意義である。

逆に私みたいに「イロトカタ」みたいな名前にすると、そこに意味は感じられないので、発音した時の印象という、だいぶふわふわした程度にしか方向性は左右されない。

その辺は使いようである。

名前の効果的な使い方

最後に名前の効果的な使い方を話す。

効果的な、といっても何に対しての効果的なのか、という箇所によってその答えは変わるのだが、方向性を変えられるという話はしたので「人気を取る」という観点で話をする。

名前で人気が欲しいのならば、「皆からすでに親しまれている」名前に乗っかればよい。

私が昔「山田」を名乗っていたのも、そういう理由である。

人間よく使用している部位に関しては親しみが発生しやすいので、その回路に乗っからせてもらうのである。

さらには、名前が読みやすい事も重要である。

読めなければ発音できないし、発音できなければ、覚えられない事が多い。

だから、名前に迷ったらとりあえず名字は「田中、佐藤、山田」辺りを選んでおけば無難で堅実である。

そして名前の方で奇抜な感じにする。

いつも通りと新鮮さのバランスが良い塩梅で提供されるのが、人気の秘訣である。

退屈には誰も寄り付かないし、過度な刺激では逃げられるのである。

こんな感じです。

イロトカタでした、以上。

アドセンス
改行

スマリッジ
改行

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