簡単な未来予測の連続によって、誰もが予想できないような未来を予知することができる

未来予知、春の次には夏が来る

暑い。夏でもない。まだ夏じゃない。でも暑い。ついこの間までは寒かったのに、裏切られた。ずっとこんな関係が続くと思ってたのに。

そう思っていたから、あんなにたくさんのコートやら肌着やらを買ったのに。信じてたのに、どうしてだろう。手のひらを返して、何も知らない風な顔をして暑くなる。

こっちが暑いと訴えたら、「クーラーつければいいじゃん」だと。クーラーにどれだけの電気代がかかるかも知らないでそんなことを平然と口にする。

「時代が変わったんだよ、流行に追いつかないと」そういっていつだってお金を貪っていく。別に夏の暑さのために私は冬の寒さに耐えてきた訳じゃない。せっかく冬の世界で生きられるように努力してきたのに。

こんな暑い夏だ。こんな時代の流れだ。

だから私がこれだけ文句を垂れたところで、結局の所、夏の暑さに負けてまたクーラーを買ったりアイスを買ったり、涼しくなるための諸々を購入するのだろう。そして夏に完璧に対応できた頃にはきっと夏は去って冬が来る。

おいおい、どうしてくれるんだよ!せっかく夏に万端の体制を整えたのに!そういって私は冬の用意をするのだろう。と、当たり前に来る季節に対して文句を行った所でどうしようもないんだろうな、と思う今日このごろである。

夏が来てから夏の準備をしているようでは遅い

いや、そうなんだよね。必ず夏が来るとわかっているのに、どうして夏の暑さを忘れるのだろうか?だから余計に損な思いをしていることが多いのではないだろうか?冬の内にしっかり準備しておけば、もっと得することがあったのではないだろうか?

こんなことを毎年繰り返しているような気がする。

確かに季節に対する未来予測は誰にでも簡単にできることである。春の次は夏。きっと誰でも知っている。だが、次の季節に対しての周到な準備を欠かさず行っている人となると、これはそんなに多くないのではないだろうか?

こんなに簡単な予測ですら、人は中々動かないし、実感も伴わない。

しかし、いざその時が来ると皆、急いで割高な商品を購入して損をしてその環境に適応する。

それが無駄だ。それが損だ。それが金持ちと一般人の差を分けるものなのではないだろうか?そんなことを最近私は考えている。

未来予測の訓練

商売に関する未来予測なんてものは、季節の到来よりも圧倒的に曖昧なものであり、先がどうなるなんて確信をもって宣言できる人間は詐欺師しかいない。

でも、それでも自分の経験とデータと先見の明と信念に基づき、誰の応援も受けずに自分が信じた道を突き進む。だからこそ、その予測が的中した時に大金を得ることができるのだろう。

別に経験の少ない私が、見えない未来を見据えて大博打を打とうとかそういう話ではない。

だが、ある程度予測できる未来に対しては周到に行動できる癖を付けておくべきだし、今後の未来がどのようになるのかを常に予測する癖を付けておくこともとっても大切なことなんだろうなぁ、としみじみ思うのである。

アドセンス
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スマリッジ
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