お前のことは全面的に信頼しているからな、という責任逃れ。

信頼と喜び

信頼されるということは非常にうれしいことである。それは、自分の能力が認められて、継続的にその能力を発揮してくれると期待されたということだからだ。

つまりは信頼されるということは、自分はすごい人間である。という認定を他者から行われたということだからだ。自分で自分を褒めることも良いことだが、やはり他人から自分が褒められれば当然うれしい。

信頼されるということは社会的な観点からしても、能力、権力と並んで大事な要素であると私は思う。

信頼の悪用

さて、その信頼である。よくある信頼の間違った使い方としての「お前のことは全面的に信頼しているからな」の後の「お前には裏切られたよ」のコンボについて述べたい。

上記のことを具体的に話をするならば、
特に根拠はないけれど、今自分のタスクは手一杯、もしくはあんまり頑張りたくない時に、丁度いいタイミングで自分の部下が現れた。

別にその部下が気に入っている訳ではないし、特別能力があるとは思えないけれど、とにかく今の自分に新しい仕事を蓄える気はないから、面倒くさいから、とりあえずその部下に仕事を振ってしまおう。

だが、何の理由もなしに仕事を振るのは決まりが悪いし、相手も納得してくれないかもしれないし、何よりできるだけ良い仕事をしてもらいたい。そしてもし失敗その仕事が上手くいかなかった時に責任は取りたくないから。

「お前のことは全面的に信頼しているからな」
という台詞を吐く。

そして、怠惰な心から不純な理由で不正に仕事を振った結果は大抵が失敗に終わる。
おおまかな原因はそんなダメな上司の責任である。

そんな時上司は言う。
「お前には裏切られたよ」

その台詞を発言することにより、自分があたかも被害者であるかのように振る舞うことができるようになる。
さも部下がどうしても仕事が欲しくて上司に懇願して無理やりに仕事を取ってきたようなニュアンスを伝えることができるのだ。実際はそんな事実などないのであるが。

本当にその会社で仕事を振られた部下に信頼がない状態だと、部下は泣き寝入りを強いられることになってしまう可能性は高い。

そして、仕事のずる賢い振り方、責任の上手な避け方を学んでいる上司は、難なく危機を回避することができるかもしれない。

上記の例は、「信頼」という言葉を曲解して、悪用している例である。

信頼と委ねる気持ち

信頼という言葉は相手任せにすることでもないし、自分は責任を一切取らなくてよい、という類の言葉でもない。

だから、「お前を全面的に信頼しているからな」なんていう台詞はそんなに簡単に言う事のできる台詞ではないのだ。

なぜならば、信頼する相手の能力、実績、性格、継続性をなどを考慮し、その上で相手がもし失敗した時に、自分がある程度責任を取るという覚悟があって、胸を張って発言できるものだからである。

いや、別にその条件を満たしていなくても発言はできるけれども、これらの要素が欠けている信頼という言葉はどうにも薄っぺらく感じられる。

信頼するということは、相手は絶対に裏切らない、失敗しないという確信をする。
ということではないと私は思うのだ。

信頼するということは、相手のことを精査して、深く考えた上で、自分の大切な何かを託すことができるということ。
かつ、もし相手に裏切られたり、失敗されたとしても、「自分が認めた相手だったのだから仕方がない」と思うことができ、その責任をある程度自分が補てんする覚悟がある心の状態だと思う。

つまりは相手を信頼するとは簡単なことではないと思うし、相手から本当に信頼されるということは大変素晴らしいことだと思うのだ。

綺麗な言葉というのは悪用されがちである。

今回は信頼という言葉について述べたが、他にも「仲間」「夢」「ローン」なんて言葉にも警戒するべきだろう。

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