頭痛を通じて考える「対処法のない痛みの必要性」について

頭痛と雨

今日は頭が痛い。きっと雨のせいだ。

雨の日は低気圧だから、頭痛になる。
論理的な点はなく、ただ雨の日と言えば低気圧だし、きっとそんな理由なのだろうと私が勝手に決めつけている。

ただ確実なのは、雨の日は頭が痛いということだけ。

頭痛と要求

そんな時は考える。なぜ痛いのだろうかと。

別にどのような理屈で、原理で頭痛が発生するのかを考えているのではない。痛みというのは本来、身体の危険を訴えるものであり、何らかの対処を要求しているものである。

体にそれだけの負担がかかっているから何とかしろ、というシグナルを痛みという情報で自分自身に伝達している。

それくらい重要度の高い事柄でなければ、痛みなんてものを発生させるメリットはない。
痛いことが好きな人はいないだろう。いや、一部の属性を持つ人以外はいないだろう。

つまりは痛みを発生させるということは、自分の体に不調があるから何とかしろ、というメッセージである。

足が痛い時は、歩かないようにするし、肺が痛い時は呼吸を抑える。
皮膚を擦りむいたならば、自然と出血し傷を塞ぐ。

ならば、頭痛はどうしろと言うのだ、と私は私の体に問い詰めたい。

頭痛と対処法

頭が痛いというならば、頭を使うなというのだろうか。
頭痛は頭を使わずとも痛い。
だからと言って、体が自然に頭痛を治癒する物質を放出する訳でもない。

要するに、頭痛に関しては対処法がないのだ。
対処法がないのに、痛い。
私にはこれが不可解なのだ。

頭痛と無意味

勿論、体がそういう風にできているのだから、仕方がないではないか、という意見はごもっともである。

それでも私は、体自身が体の危機を回避するためのものが痛みなのだから、回避する手段がないのならば、痛みなんか発生させなければ良い。と思う。

現代ならば、頭痛を抑えるための薬というものは数多く販売されていて、それによって痛みが軽減するというケースもあるらしい。

だから、頭痛には意味があるのだという理屈は成り立ちはするが、後付けである。

人間の体が、ロキソニンとか、バファリンとかが将来的に発売されるだろうから、頭の痛みは発生するようにしておこう。なんて判断を下したとは到底思えない。

まぁ、そんなことは私が思う、私の体に対する理不尽な八つ当たりであるのだから、何を言っても仕方がないのは確かである。

頭痛と苦痛

しかし、長期的な頭痛というのは、そんなことなどどうでもよく、とにかく八つ当たりをしたくなる感情にしてしまうということだけは事実である。

頭痛で苦しんでいる人がいたら、できるだけ近づかない方がいい。
理不尽な八つ当たりをされる上に、次の日に頭痛がきれいさっぱりなくなった際には、八つ当たりしたことも、きれいに忘れ去られてしまっているはずだ。

花粉症しかり、頭痛しかり、その他諸々の痛み、苦しみというのは、体験している人にしか理解できないし、どれだけ苦しくても、大概の痛み苦しみは喉元を過ぎれば忘れるのである。

だからこそ、痛み苦しみに対処法と、その教訓だけは言語化して覚えておくべきだろうなぁと強く思う。

でも、辛い時はそんなこと考えていられないし、治った時にはそんなことどうでもよくなるんだよなぁ。

アドセンス
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スマリッジ
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