少なくとも、努力至上論者は商売的観点からすればカモだよね。

努力か、才能か、

無能な人間がいる、有能な人間もいる。

その差を決定付けるものは何だろう?

私は上手くいかない時があると、よくそういうことを考えてしまう。努力だろうか?それとも才能だろうか?

この二つの要素が無能有能を決めるのは確かだろうが、どちらにどれだけの比重があるのか、実際の所は不明である。

努力のおかげにした方が、心理的に楽なのは確か

結局は言ったもの勝ちな所があるし、結果を出した者にしか、それを言う資格はない。

そして、結果を出した者が、「私は努力したから、上手くいったのだよ」と言うか、「私は才能があったから、上手くいったのだよ」と言うか。

聞こえの良い方は、やはり努力を語った方だと思う。
だからこそ、世間一般では努力至上論が優位を占めるのだろうし、人間なんて才能次第で全てが決まるんだよ、なんて言う人は周りから嫌な顔をされることが多い。

上手くいっていない人がこの世は才能次第だと認めてしまうのは、自分の能力に絶望し、諦める、ということになるからだ。

だからこそ、努力至上論は愛され、好まれる。

さらに、だからこそ、努力至上論には警戒しなくてはならないと私は思う。

才能があまりない、努力至上論を好む人というのは、奴隷、カモとして扱いやすいからである。

これを買えば、もっと頭が良くなるよ。とか。もっと残業して仕事をすれば、上手くいくようになるよ。とか。そういう論法でお金をむしり取ることが可能になるからだ。

努力がもてはやされるのは、そういう商売がしたい人がいるからなのかもしれない。

「努力と才能」を使い分ける努力をしよう

結局の所、努力か才能かという所に確固たる結論は出ない。
少なくとも今は出ていないし、商売にならなくなってしまうのならば、今後も出ないだろう。

私はどちらでも良いと思うので、その都度その都度で都合良く、使い分けようと思っている。

頑張って上手くいったなら、努力のおかげにすれば良いし、どうしても上手くいかなかったら、才能のせいにすれば良い。

無駄に心を苦しませてもロクなことはないと思います。

アドセンス
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スマリッジ
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