理想論のしわ寄せは何処に行くのか

口だけ理想論

理想を掲げるのは良い。だが、叶えるのは誰だ。まともに現実を生きている人ではないのか。その辺が私が理想論ばかりを掲げている人を嫌いな理由である。
口だけ野郎が嫌いな理由である。結局の所「私の理想はこういうのだから、お前らはその理想を叶えるために尽力しろよ!」という我儘を大人ぶった表現で主張しているだけに感じるからだ。

そいつらがやるのは、ただ懸命に口を動かすだけだ。ただ偉ぶっているだけだ。それが気に食わない。
地味に真面目に継続的に少しずつ理想的な世の中を実現しようと粉骨砕身している人達を足蹴にして唾を吐いて馬鹿にして、「我々こそが一番である!」と無根拠に信じ込んでいる態度が不快だ。

行動しない奴、口だけの奴、不満だけの奴。そういう奴らを善人というのは「現代に対する心の底からの真摯な意見」とか「不遇な環境に追いやられてしまった可哀想な人」とかっていう解釈をしてしまう。
違う、ただ奴らは怠惰で傲慢なだけである。それを正当化しているだけである。

善人は善人としてしか生きてこなかったからこそ、そういう悪意に疎い。それはそれで善人の反省点なのかもしれないが、簡単に悪人の言い訳を信じ込んでしまうのである。
その結果として、善人が必死に作り上げてきた環境を悪人に譲り渡してしまったりする。
いざ、環境を変える権利を与えられた所で奴らは行動を起こす事はない。
今まで一切の挑戦を行わなった人達が急に円滑に行動していける程に人間の高性能ではないし、世の中は甘くないのである。

善人と悪人の足の引っ張り合い

そんなこんなで、最終的には悪人はまた他の欠点を探し出して善人を非難する事になる。「こんな難しい問題、できる訳がないだろう」
「待遇が悪い」
「人の意欲を湧かせるような仕組みになっていない」等と文句をまるで豪雨のように降り注ぐが、そういう豪雨の中で懸命に素晴らしい環境を一から作り上げてきたのが善人である。

それを意にも介さず悪人は善人を攻撃する。何にでも悪い所はあるし、理想はいくらでも追求できるのだから、非難批判を行うのは簡単なのである。
それを知ってか知らずかして、やはり悪人は悪人のまま、善人は善人のまま同じ行動をし続けるのである。こんなシステムは一体誰が幸せになれるのだろうか。

直視しなくてはいけないもの

善人こそが攻撃力を備えるべきなのである。善人こそが性善説を否定しなければいけないのである。
それができないからこそ、善人が悪人を飼い続けてしまうという愚行に出てしまうのである。綺麗な言葉に騙されてはいけない。
戦わなければいけない時もある。
世の中には悪人がいる。
当然の事ばかりであるが、それでも信じたくない事実であることも確かだろう。だが、事実を直視しなければ正しい方向へと己を進める事はできない。正しい事を行う事はできないのである。見たくない物に蓋をする能力も必要であるが、それでも肝心な箇所については、見たくない物でも直視する能力が必要なのである。

アドセンス
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スマリッジ
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