十分な会話もなしに「人間として終わってる」と言い放つ人が嫌い

「個々人内での人間の定義」の多様性

「人間として終わってる」ってどういう意味なのだろう?ディオなの?吸血鬼なの?石仮面でも被ったの?と思うが、まぁ別にそんな事はない。単純に他者を否定するための表現技法の一つだ。そしてこれは同時に自分自身をも騙すテクニックである。やはり長年使用される言葉はそれなりに有用な物がある。

人間として終わっている、という言葉には、「人間として誰もが備えていなければならない思想がある」という前提が込められている。
そしてその思想を逸脱したから「終わってる」と侮辱するのである。
実際の所、人間が人間であるために絶対に所有しなければいけない思想などない。
単純にその言葉を放った人間がそう思っているだけである。

自分で勝手に人間としてのルールを作り上げて、それを勝手に相手にも押し付けて、破ったから「人間として終わっている」という言葉で他者を攻撃する。
それが発言者の思考回路であろう。実際問題、その人が「終わってる」か
どうかは置いておいても、その人同士の人間関係はそんな発想をした時点で終わっているように思える。

コミュニケーションもなしに害悪判定とは如何なものか

私個人としては「人間として終わってる」という言葉そのものの是非を評価する事はできない。
意見というのは一文だけで表現する事は非常に難しく、文章レベルの量を持っていないと誤解が多々生じる物だと言う事を知っているからだ。(無論、どれほど大量の文章を提示した所で、自分の全てを理解してもらえるとは思わないが)
「人間として終わってる」という言葉だけを相手に突き刺して去っていくような人は、私は好まない。自分だけのルールを勝手に自己の脳内だけに構築しておいて、それで相手を裁き、劣悪な評価のみを相手にぶつけて逃げるような行為はコミュニケーションとは呼ばない。幼稚で我儘な暴力である。

少なくても、「どういう人間が終わっている人間なのか?」みたいな概念は自分の中で具体的な内容として保持しておくべきだし、それを相手に事前に共有しておく事が望ましい。犯罪行為でもない行動に対して非難するに当たっては、そのくらいの事前行動くらいは当然するべきだと思う。非常に面倒な作業だと感じる方もいると思うが、コミュニケーションとは、とにかく面倒な物なのである。仕方がない。
要は、禄にコミュニケーションができない人が偉そうな事を言うのが腹立たしいと私は思っているのだろう。
子供が大人ぶって偉そうな事を言うのが気に食わないのだ。大人になりきれていない成人男性が、偉そうな事を言うのがムカつくのである。それだけである。

せめて知った上で嫌い合いたい

どんなに事前にコミュニケーションを取った所で「人間として終わってる」人は存在するだろう。
そしてその定義は人によって違うし、誰もが事前にそのコミュニケーションを取るとは限らないので、勝手に「人間として終わってる」判定をされている場合だってあるだろう。
まぁ、そんな物なのである、人間関係ってものは。だが、それでも意見を交換した上で、納得した上で嫌い合いたいと思うのが私の密かな願望である。

アドセンス
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スマリッジ
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