他者の心は読み取れないから、自分に関係がなければ好き勝手に言うのが人間だ

自己は他者の心を読み取ることができない

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という格言がある。自分の体であっても、熱さを強く感じる部分を通り越してしまえば、もうその先は知ったこっちゃないということである。

自分の体でもそんな体たらくならば、他者の状態なんて、どうしてそこまで気遣うことができるのだろうか?そんなことは簡単にできる訳がないのである。基本的には絶望的に無理だ。

「他人を思いやりましょう!」とか「皆で一つ、皆は仲間!」みたいな標語で大人になった人間は必ず行動したりはしない。大人がチーム一丸になる時には、ある特定の思想に全員が陶酔しているか、金銭的メリットがあるか、契約で縛られているか、なんてくらいなものだ。

人間は協力して文化文明を発展させてきてはいるけれど、メリットなしに協力する生き物ではないのだ。

だから、何の利点もなしに他人の事をかばったりしないのは当然であるし、自分に関係がないことを好き放題言うのも自然な流れである。他人から勝手な事を言われると不快だが、自分も気付かない内に他者の事を好き勝手言っているのが人間である。一人でいる時でも、グループで会話している時でも、興奮状態になると、周囲の事などどうでもよくなる生き物なのである。

そんな人間の自然な現象なのだが、いざ自分が言われる側になる傷ついたり気にしたりしてしまうのが人間の不思議な所である。自分だって散々好き勝手言っているのにである。

これはダメージを与えた事を自分の精神が感知しにくい事に起因する。要は、自分の放った言葉が他者にどんな風に伝わったかを正確にありありと知り尽くすことは不可能だ、ということだ。他人の気持ちに対して推測以上の行為はできないのだ。

それに反して、自分の心がどう揺れ動いたかは自分で明確に知ることができる。

「感じる事のできない物」と「感じる事ができる物」は仮に同一の分量であったとしても、「感じる事ができる物」の量の方が圧倒的に多いと判断してしまうのは、仕方のないことであろう。そんな仕方のないことにより、人は被害妄想的に自分が言われて傷ついたことばかりを感知し記憶する。

人間はいい加減だ

自分が他者から何かを言われても、何かを言った他者は何ら負い目を感じることがないのが通常運行なのである。という事が言いたい。それについて人間が邪悪だとか言う結論を出すのは早計なのである。まぁ、ウザったいのは認めるけど。

「自分に関係がなければ好き勝手に言うのが人間」であるし、「他者の精神的ダメージを感知できないのが人間」なのだから、具体性に欠けていて、論理的でもないし、まるで根拠がなくて、まともに聞いても自己の役に立たないような事柄は何ら気にする事がないのである。

適当に思いつきで言っているだけだし、その大半に悪意はない。悪意があってもなくても、無駄な言葉に傷つく必要はない。

ストレスが溜まれば八つ当たり的に暴言を吐きたくなるものだし、グループ内で話題がヒートアップすれば狂乱的に「盛り上がればいいや」的な発想で好き勝手言うのである。それは自分にだって、きっと経験があるはずだ。

自分にとって都合の悪い事は早々と忘れてしまいがちだが、「過去には私もいい加減な事を言っていたんだな」と素直に都合の悪い過去を認めることができれば、他者の勝手な言葉だって気にしないで済むかもしれない。