強く思いを込めた物体とその人の肉体は融合するのかもしれない

卒業アルバムを失えば思い出を失う

外部に保存している情報であっても、ホメオスタシスの範囲内なのか?

と言っても、何を言っているのか意味不明だと思う。言っている私自身があやふやな状態で発言しているのだから当然である。

例えばだ、卒業アルバムという代物がある。これは本人の学生時代にあった楽しいことや楽しくなかったことを思い出すための絶好のツールである。ほとんどの人が手に入れたことがあるだろうし、保管していることだろう。

この卒業アルバムという代物は物体である。物である。つまりは私の肉体を構成する物ではない。もしも卒業アルバムがどこかに雲散霧消してしまったとしても、私の生命維持には何ら影響はない。

しかしである。もしも本当に卒業アルバムが雲散霧消してしまった時、きっと人間の精神状態には影響があるだろう。大切な思い出そのものは消えてはいなくても、大切な思い出を思い出すキッカケになるツールを失ってしまうことは、思い出が消えるのと同義だと考え悲しむことだろう。場合によっては精神の不調から肉体にまで影響を及ぼしてしまうかもしれない。

これは多くの人間にとって極々当たり前の精神状態遷移であるが、これって結構不思議ではないか?と思う次第である。

私の脳内から急に何らかの情報が消失したというのならば、当然ホルモンの出力やら何やらに変化が起こり、精神と肉体に影響を与えても不思議ではない。

でも、卒業アルバムは肉体の外にある。なのにそれが消えたら肉体そのものに影響がある。魔法的な不思議さがある。

まるで、卒業アルバムと私の肉体が繋がっているかのようである。卒業アルバムの消失によって自らの体に影響があるならば、外部に保存している情報であっても、ホメオスタシスの範囲内であり、それは広義の意味で肉体の一部なのではないか?

ということを思ったのである。

心の安息を物に委ねる

きっと、「そういった外部の物体に対して、自らの精神の安息を委ねている」という現象はよくあることなのだろう。古来ならば仏像やら何やらだし、今だってお墓参りという石に対して祈りを捧げる風習は存在している。

それが人によっては卒業アルバムだったり、絵だったり、作品だったりするのだろう。そこに自らの魂を預けるのである。

魂を分けた物体が消失するのならば、そりゃもう、自分の身体に影響があっても然るべきだろう。そういう不思議な生き物なのである、人間は。

そんなこんなを考えると、深く考えずに自分の大切な物を断捨離するのは危険であるし、ましてや他人の物を勝手に断捨離するなんて言語道断である。それは他人に不意打ち的に激しい攻撃をするのと同様である。

自分の物も他人の物も大切に扱うべきである。