情報肥満という情報社会特有の症状の解決策については「何もしない時間が有益」である理由

義務しかなくても、やることがあるだけマシなのか?

希望がなく義務感ばかりが積み重なってしまうのが問題なのだ。やりたい事がなく、やらなければならない事ばかりが多い生活は辛いだろう。毎日の食事が嫌いな食べ物だけで構成されているようなものだろうか。

義務を果たせば希望がある、という状況ならばまだマシだろう。人参で釣られた馬のように人間だって頑張ることができるはずだ。しかしながら、走ることだけを強要された馬はいつまでも走っていられるだろうか?無理である。

そんな砂を噛むような生活でも、まだ噛む砂があるだけマシなのだろうか。世の中には食べる事すらままならない人達だっているのだから、食べることができるだけマシなのだろうか。

一切合切やることがない人達よりかは、義務でやらされているにしても、やることがあるだけマシ。そう解釈もあるのかもしれない。

人間は、外界から遮断されて、ほぼ全ての刺激を絶たれてしまうと発狂するらしい。そしてつまらない情報でも意味の情報でも都合の悪い情報でも、与えられると貪るように吸収してしまうらしい。そういう意味では外界から遮断されずに、自由に情報を取捨選択できるだけでもマシなのかもしれない。

情報肥満の対策について

その辺を考えると、現代の人間ってのは情報肥満な状態に陥っているのかもしれない。月額数千円で一人の人間が一生掛かっても見きれない程の映像作品を見ることができる時代だ。YOUTUBEならばお金を掛けずに、いくらでも情報に触れることができる。外を歩けば宣伝広告が溢れているし、情報の塊と言っても過言ではないスマートフォンを常に携帯して生活しているのだ。

常に情報を喰らい続けている状態。それが現代の人間なのだろう。だから、脳みそが疲れ切ってしまって希望がなかったりするんじゃないだろうか?それでも「やらなければいけないこと」なんて探せばいくらでも見つかる。だって情報社会なのだから。喰いきれない程の情報を喰い続けることを強要されている時代なのだ。疲れて当然である。

だから、「希望がなく義務感ばかりが積み重なっている」と感じるのならば、まずは情報断食でもしたらどうだろうか?と考える。スマホの電源を切り、パソコンを起動することなく、綺麗な風景が見える場所へと外出するのはどうだろうか?お風呂にゆっくり浸かってダラダラと睡眠を取るのはどうだろうか?ただボーッと天井を見続ける時間があってもいいのではないだろうか?

今の情報が溢れている時代の人間は、情報を取り入れない努力が必要なのではないか?飽食の時代に肥満者が増殖しダイエットが盛んに行われているのだから、それを脳みその観点でも行うべきである。

ダイエットのコツは必要以上に食べないことである。ならば脳の健康維持だって必要以上に情報を取り入れないことが大事だろう。ダイエットは運動によっても実現し得るが、脳のダイエットが知的活動によって成し得るとは思えない。

無駄な時間を作るべきじゃないか?建設的な時間が精神的不健康を生んではいないか?何もしない時間は実は有益じゃないのか?

精神が疲れて気力が出ないのならば、精神を働かせるのはやめよう、休ませよう。