コンビニ人間_村田 沙耶香『レビュー/感想』

分かりやすく、文章量の少ない、読みやすい小説

まず読みやすかった。分かりやすい文章であり、そこまで文章量も多くない。日常的に使用する用語のみで構成されていて、小難しい文章表現がされていなかった。そういう点って個人的にはとても素晴らしいと思う次第である。

分かりやすい方が疲れないし、文章量の多さそのものが価値ではない。必要性がないのに知らない用語を多用されてもストレスが溜まるだけであるし、小難しい文章表現により物語が意味不明になっては不愉快だからである。

無論、必要性があったり、物語の雰囲気を盛り上げたりする用語であれば歓迎するし調べもする。小難しい表現がその物語に必要であり、それが心情や語りにおいて深みを増すなら歓喜するし理解を試みる。

だが、小説家ぶりっ子するために小説チックな行為をするのが私はあまり好きではないのだ。その時見ているのは読者ではなく自分自身だからである。そんな独りよがりに付き合いたくはない。

多少、話が脱線した。とにかくこの小説は読みやすかったのである。

普通じゃない人の生き様

で、話の内容。

常識とか当たり前とかが分からない女性の話。
その女性がコンビニでしか生きていられない話。

その主人公を通して、「普通の人間や、普通の人間が構成する社会」という存在を浮き彫りにしている話。

端的にまとめるなら、こうである。

そこから、人間の醜さを感じ取ったり、社会構造のせせこましさを感じたり、主人公の女性の性質に嫌気がさしたり、多様性の問題を考えたり、「適材適所ってあるよね」って思ったり、色々な感想を放出させる感じである。

一つの物語でも、読み手によって印象はまるで異なる。それは読み手が「普通の人なのか」にもよるだろう。その辺は、自分というフィルターを通してでしか物事を捉えることができないという人間の業なのだろう。

個人的には主人公が正しいとも悪いとも思えなかったし、エンディングがハッピーだともバッドだとも断定できなかった。

正しいとか悪いとか思うべきではないし、ハッピーとかバッドとか断定すべきではないと思った、というのが感想である。

ただ、世の中にはそういう人間もいて、その人なりの生き方があるんだなぁ、と興味深く面白い気持ちになった。

生存本能と社会

登場人物は基本的に皆、醜さを匂わせている。当たり前が分からない人、当たり前に生きられない人、当たり前を強要する人、当たり前に矯正しようとする人。皆、社会に属しているからこそ、社会特有の汚さを無意識に露呈している

とある登場人物曰く、それは縄文時代からずっと変わらないらしい。確かにそうなんじゃないか、と思った。

より良く生きるためには、それを阻害する人間を排除する必要がある。生存本能に従った結果、社会は歪みを許さないし、歪んだ人間は社会から疎まれる。より良くあろうとするには、悪い物を攻撃する必要があるのだ。

仮に多様性が認められるとしても、それは社会の役に立つ範疇内でしか認められないのである。暴力的な発想かもしれないが、より良く生きることを求める人間には当然の発想なのである。普通の人は無意識にそう考えている。

そんな社会の中で、「普通じゃない人の考えってこういう感じなのか」ってのが読めたことは面白かった。まぁ強調されているだろうし、そもそもフィクションなのだが。

「普通の人」の態度や言動だって、あまりにも誇張されている。現実の普通の人はあそこまで「普通の人に矯正しようとはしない」だろうし、「普通じゃない人を侮辱したりもしない」だろう。ただ見限って、見放すだけである。普通と普通以外が分断されて、それぞれが幸福に生活できるならば、それこそが現代社会の勝利だと私は考える。

おわりに

中々総括しにくい作品ではあるが、中々複雑な気持ちになった作品であった。読後感はあまり気持ちの良い物ではないが、それでも読んで良かったと思った。