食えない食料に意味はある。「いつでも食えると思える」という事は何よりの果実である。

制約付きの豪華な食事

食えない食料に意味はあるのか。豪華な食事、保存期限が切れない食事。
そんな理想的な食事がそこにあったとしよう。きっと所有しているだけで気分が高揚することであろう。

これだけの食事を持っている自分は最高に恵まれているし、それを持っていない他の人々に比べて私は優越感を抱くだろう。

だがある日気付くのである。食べることができないと。

鍵が掛かっているのである。そしてそれらは大切な人達の遺品である。さらにそれを食すには周囲の目に晒されなければいけない。

鍵を開けるのには非常に労力が掛かる。
食べてしまえば大切な人達の思いをムダにしたように感じる。
食事を始めれば周囲の人達から妬まれる。

だからいつまでも食べることができない。いつまでもそれは綺麗に映り私を魅了する。

手が届く距離にあるのに、手が届かないそれに落胆しつつも、大切なアレコレを捨てる覚悟さえ決まればそれを手にすることができるという選択の自由を保持していることに喜びを感じる。

人間というのは実際にそれを行わなくても、「やろうと思えばいつでもそれができる」という心の拠り所があるだけで、日常生活にも余裕が出るのである。

そういう意味ではそれは食べなくてもいいのかもしれない。「いつでも食べられる」という気持ちを私は常日頃から食しているのだから。

そんな気持ちを食べるのに飽き足りてしまってからでも、それを物理的に食すのは遅くはないかもしれない。

アドセンス
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スマリッジ
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