優しさを踏み倒す奴とは戦え

優しさは打算で良い。

どこかの馬鹿共が「無償の愛こそ素晴らしい!」とか戯言を抜かすけれども、そういう奴らは安全圏の痛くない範囲で役に立たない偽善を投げるばかりで、実際に綺麗事通りの行動を取ったりはしない。

それどころか、他人から無償で利益を搾取しようとする為に、そういう綺麗事を流布しているのである。

協調性も生存戦略の一つである。優しさと協調性はイコールである。

だから、古来から生き延びる為、繁殖する為に優しさを利用してきたのが人間なのである。

何も悪い話ではない。むしろ理想論に心酔して現実を蔑ろにして真っ当に生きる人間の邪魔をする事こそが悪事である。

よって、優しさを踏み倒す人間は自分にとってまるで利益にならない存在なので、戦うべきである。現代社会は複雑なので、即座に素手で殴り掛かるのは難しいかもしれないので、出来うる手段を複数考えて実行するべきである。

冷戦でもいいし、長期戦でもいいし、思考戦でもいい。他人が嫌がる行動ってのはこういう時にこそ用意しておくべきなのである。

優しさを踏み倒された時にヘラヘラしているのは間違いである。

優しさとは利益の前貸しなのである。後で返して貰わなくて困る。

相手が喜んで返してくれないのならば、こちらから嫌がられても無理やり奪い返すしかない。

あぁ、つっても、これは相手から優しさを要求された場合の話だがな。

自分から率先して、相手が望んでもいないのに優しくして見返りを求めるというのは迷惑極まりないなので、そんな事で憤るのは間違っている。

相手が望んでいたとしても、相手が自分に求めてこなかったのならば、仮に優しくしたとしても見返りが絶対あると思い込むのも危険である。

ちゃんと自分で「こいつには優しくすれば見返りがありそうだな」と思う人間に当たりを付けて、投資として優しくするのである。

それで見返りがあれば投資成功である。

今回述べているのは、相手から求めてきたのに何も返さない場合である。そういう人間は攻撃対象で良いし、余計な争いを生みたくないのならば、優しくする必要はない。

「こいつは恩義を感じるタイプかどうか?」という見極めは常日頃から行うべきである。

人間は一人では生きていけない。だから協力するのである。

協力するのならば、協力できる人を探すのは当然である。

「協力できる人を大切にして、できない人を駆逐する能力」こそが、人間が生きる能力である。

アドセンス
改行

スマリッジ
改行

toppage