「行動できない茹で蛙」と「九死に一生の性善説論者」は相対する

ゆでガエルになる前に逃げ切った方がいい場所は絶対にある。
だが、逃げた後にどうするかを決められないから、そこから動けない人もいる。

物理的に水位が上昇している場所にいつまでも居続ける阿呆はいない。
徐々に温度が上昇していくお湯に浸かり続ける阿呆もいない。

物理的な状況においては人間はゆでガエルにはならないけれど、精神的な状況においては容易に茹で上がってしまうことがある。

さらに厄介なのは、そこに居続けても別に死んだりはしないケースである。辛いことや悲しいことや不遇なことはあるけれど、生きていけるケース。

そんなケースだと、今より明らかに状況が改善されるような場所が見えていても、そこに向かって前進できなかったりする。

生きていくことは重要だが、生命活動が継続できるならば何でもよい、という人はいない。
九死に一生を得たばかりの人の口からはそういった発言があるだろうが、それでもほとぼりが冷めれば欲が出てくる、退屈過ぎれば文句が出るのが人間だ。

今より良い状況があれば、誰だってそっちに生きたいのだ。
今の状況が悪いと感じるのならば、誰だってそこから逃れたいのだ。

だが、現実は不思議なことにその理屈通りに行動しない人が多い。

「言うは易く行うは難し」という言葉がこういう時に身に染みる。人間はそんな簡単じゃないのだ。

簡単じゃない、というか強くもないし、新天地に対しても覚悟も持てないし、度胸のないのである。落ちる恐怖で少しの境目も飛び越えられないのである。それが実情。

結局、度胸があって、能力があって、覚悟ができる人間じゃないと行動には転じない、ということである。

だから、自分がゆでガエルっぽくなっているな、と思ったのならば、さっさと自己研鑽に努めるのが宜しい。

悩む時間があるならば、筋トレするか、勉強するか、コネでも作るか、良い作品に触れるかすればよい。

「自分はゆでガエルなのではないか?」と悶々としている間は、間違いなくその人はゆでガエルなのである。

アドセンス
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スマリッジ
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