合理的なソロプレイヤーか不合理的な群衆動物か、どっちかには成りたい

合理か不合理か。

合理が絶対的に正しくて強いと思ってしまいがちだが、不合理だって強いのである。

理屈無視である。正義無視である。自分の大切な人の為ならば、どんな理屈でも捻じ曲げるのである。

仲間を守る為ならば、仲間以外の物事を蔑ろにするという不合理は、人間が協力しあって絆を強める。強い絆がある人間達の力は強い、それは間違いない。

「そんなのはお伽噺の中だけの話だろ」というツッコミをする気持ちは非常によく分かる。実際問題、薄い絆を当てにして生きる奴は、「正直者は馬鹿を見る」とかなんとか言われて騙されて墜落するのである。カイジやライアーゲームなんかの価値観である。

だが、それはやっぱり薄い絆の中の話であり、結束を常日頃考えてきて、長い時間で積み上げてきたのであれば、現実にだって絆は発生するし強力な力を発揮したりするのである。

人間は基本的に群生動物である。ソロプレイの方がレアなのである。理屈を無視した採算度外視のアクションが結果的にハッピーエンドを迎えるということは全然ある。それを信じられない人の方が多数なだけだ。

で、その逆として合理的を追求するパターンで強い人間だっている。徹頭徹尾冷静沈着理路整然にて合理的。そうやって脳みそフル回転で、魂とか情とかはどこかのゴミ収集車に放り投げてしまった人だって勿論強い。というか、パソコンやら何やらで機械化自動化が進展している現代では、こっちの方が強いのではないだろうか?勝手な妄想だが。

こっちのパターンは少数精鋭かソロプレイである。無能な協力者は蛇足となり足を引っ張る要因足り得るから切り捨てるのが定石である。

クールに無感情に金銭と物質的幸福を獲得するタイプが合理的な人達のゴールだろう。きっと。不合理な人達は金銭と心理的幸福を獲得するのだろう。

まぁ、どっちが良いとか言う話ではない。だが、どっちかにはなりたいよなぁ、というのは本音である。心も頭も中途半端で、突出した長所もなく大成もなくでは得るものは少ない。

とは思うけれど、人間の心や頭脳が何の前触れもキッカケもなく変化するなんてことは全然ないのである。何かしらのドラマティックな事柄がなければ劇的な変化なんて望めない。

その辺を鑑みると、人間がコントロールできる部分って案外大きくないし、運の要素で大きいよね。

熱血漢が聞いたら否定するだろうか。今どき中々見ないけれど。