人の魅力は顔の作りだけじゃない。仕草、声、服装、筋肉、化粧、その他諸々の要素の総合から受ける印象によって決まる。

顔が平均点でも、仕草や声や服装、はたまた化粧なんかを上手にコーディネートすることで、綺麗とか可愛いとかたくましいとか、そういった風に自分を印象付けることって可能なんだなぁ、と染み染み思う。

これは自分の顔面偏差値があんまり宜しくない方々にとっては希望であり、最初から顔面が整っている人にとっては脅威かもしれない。

人間が相手に与える印象というのは努力次第で、多少は誤魔化すことができる。「可愛いは作れる」というフレーズのCMが話題を呼んだ時代もあったが、それは本当に正しいのである。

そして、上手なコーディネート、換言すれば小細工の技術に習熟すると、年齢の経過に伴う肉体の劣化という誰もが通過する生命プロセスにおいても、上手に立ち振る舞うことが可能になるのである。

今の時代、顔面と肉体の劣化を整形外科に頼り切りになるのは非常にリスキーである。金銭面を鑑みても、不可逆性を考慮しても、世間から評判を持ってしても、まだまだリスキーである。

反面、化粧は取り返しが利く。技術の向上でより綺麗に作り変えることができる。どうしようもないレベルの骨格的な問題を有しないのであれば化粧の技術を磨いた方が無難であり応用が利くのである。

応用が利くというのは、化粧によって自分の外見の印象を自在に変更できるので、取り入りたい人物の好みに合わせれば良いという話である。

化粧だけでなく声や仕草や服装も十分大事である。というか、この3つはコミュニケーションについての基本中の基本であるのだが、あんまり教育が行き渡っていないようで、その辺で人間関係に亀裂を生じさせている人々もいるようだ。

相手を威圧する声、相手を懐柔する声、相手に取り入る声、相手と仲良くなる為の声。使い分けを意識してできるだろうか?そういう使い分けも、その正当性も正確に言語化できる領域ではないので、自分が正解しているという自覚を明確に持つことはできないが、それでも常に意識し訓練するべき能力である。

服装は属する環境に適しているだろうか?登山でスーツを着る人間は仲間に入れたくないし、ビジネスシーンで登山の装いをする人もまた同様である。

また、仕草の問題もある。声色と発話した言語が良好な物であっても、ボディランゲージ次第で、相手に与える印象は真逆に成りうる。皮肉やら遠回しな表現というのも人間のコミュニケーションには存在するからである。

極めつけには、筋肉の問題なんかもある。これは男性特有の問題かもしれない。まるで貧相なヒョロガリである、というだけで嫌悪の対象に成り得てしまうのである。そう考える男性は、それこそスポーツをやってきた人間に多い。「自分が大切にしてきたものを大切にしていない人間」というのはそれだけで嫌悪の対象になるのが人間の勝手な所である。

その逆に、まるで貧相なヒョロガリ人間が筋骨隆々な人間を嫌悪するということは聞いたことがない。きっと、まず嫌悪よりも恐怖がやってくるからだろう。恐怖故に嫌いになれない。

だからこそ、男性ならば日頃から筋トレの類は行うべきであろう。

総括すると、外見の作りだけで全ては決まらないという話である。それは希望でもあるし脅威でもあるし、終わりのない努力の欧州という争いの連鎖のキッカケなのかもしれない。