苦しみと快感の中間地点みたいなものを模索していくのが人生を楽しむ為に必要なことなんじゃないか

苦しみと快感の中間地点みたいなものを模索していくのが人生を楽しむ為に必要なことなんじゃないかと、そう思った。

だからなんだ。

知らん。

まぁ、あれだ。平和ボケは退屈でつまんないって話だ。
だが、だからと言って苦しみの果てに得られる快感ばっかりを求めていると肉体と精神をぶち壊すという話だ。

そういう訳だから、「苦しみの果ての快感」の量を調整して、新鮮で充実した気分で人生をスリリングに楽しもうじゃないか、という話だと、そういう感じである。

人間ってのは安全安心で大量の利益というのを理想だと思って、そこに向かって突き進むのである。
大概の場合は、大量の利益を獲得するためには、やはりある程度のリスクを取らねばなるまいと悟って、仕方なくリスクを取って、そこそこ充実な人生を謳歌して、成功したり失敗したりする。

そう、大概の場合は「多少のリスクは仕方がない」と考えた上でリスクを取るのである。

リスクはできることならば取りたくないけれど、背に腹は変えられない、という気持ちで取るのである。

だがそれは違う。間違っている。

分量の問題はあるが、リスクという代物というのは、人間にとって欲求の対象なのである。

人間はリスクに喜びを感じるのである。危険に楽しさを覚えるのである。じゃなきゃジェットコースターなんて乗り物が生まれたりするだろうか?いや、しない。

リスクってのは適度であれば楽しいのである。
リスクが完全なる危険で害悪という発想こそは危険である。
何故なるリスク要素を完全に排除するということは、平和ボケの退屈でつまらない廃人状態になってしまう、ということでもあるからだ。これが危険でなくて何なのか?

リスクを取れば、廃人になる可能性がある。
リスクを取らなければ、絶対に廃人になる。

だから、リスクを取らないことこそがリスクなのである。

ただ、小賢しさや不安や安牌思想がリスクを遠ざけてしまうことは多々ある。
そして、その発想こそが素晴らしいものだと自分自身で考えてしまうことも多々ある。
だから、退屈でつまらない状況から抜け出せないのである。
そして、虚ろな瞳で「人生というのはつまらない」と抜かすのである。

阿呆丸出しである。

リスクというのは、危険ということではあるが、適量であれば精神を溌剌とさせる。
そして、行動と知能に優れれば、金銭と名声も手に入るのである。極論を言えば、そちらはおまけである。

ってな訳で「苦しみと快感の中間地点???」という表現が的確かは知らんが、まぁ適度にスリリングな要素を入れた方が物語は楽しくなるし、それについては人生も同様だよねって話だ。