「他人のミスをバカにすると、自分も似たようなミスをしてしまうような気がして怖い」けど、それが法則として確かなのかを実験しない怠惰な心の方がもっと怖い

他人のミスをバカにすると、自分も似たようなミスをしてしまうような気がして怖い。
というか、過去に他人のミスを脳内で嘲笑していたら、それから近い未来に自分がそれよりもダサいミスを発生させてしまったから、その影響で怖い。

別にスピリチュアル的な何かを信じるつもりはないけれど、「悪しき心を持つ者には悪しき事柄が降りかかるぞ!」みたいな教訓が精神的痛みによって刻みつけられてしまっている気がする。

実際どうなんだろうね?どうもこうもないか。それは関係ない。

まるで関係がない事柄同士でも、発生時刻が近いとそこに意味を見出そうとしてしまうのが人間の特徴なのだろう。それにより実際に法則を発見したりもするのだから、大切な特徴だ。

ただ、それは特徴なのでデメリットもあるという話だろう。そのデメリットとは「関係ない事を無理矢理関係づけてしまう」ということなのだろう。

そのデメリットによる被害を打ち消すためには、科学的に物事を証明する必要がある。

科学的な証明手法って具体的に何なんだろうか?私は知らない。再現性があるとか?なんかそんな感じだよね。

少なくとも、状況を揃えた上で事象が再現するってことは当然必要だろう。

つまり今回私が恐れる「他人のミスをバカにすると、自分も似たようなミスをしてしまう」という法則が真実なのか?それとも虚偽なのか?というのを解き明かすためには、「他人がミスをした時に、脳内で嘲笑してみる」という動作を何度も繰返して、「自分も似たようなミスをするか?」という観点で観察を行うしかない。

また、近い未来というのも、具体的に何日後なのか?というのも定めないと。
さらに、「似たようなミス」もどれぐらい似ていれば似ていると判断してよいかも定めないといけない。

実践するのは面倒である。それにこうやって観点を挙げるだけでも、私は勝手な思い違いをして勝手に恐れて勝手にスピリチュアルな結論を出そうとしているのだなぁ、と思う。

怠惰こそが荒唐無稽な結論を導き出す要因になるのだろう。

今現在で確実に言えるのは「他人のミスをバカにした後に自分がミスをすると、すごく恥ずかしい思いをするから、他人をバカにしない方が痛い目を見ない」ということである。

バカにした場合と、バカにしなかった場合を比較した時に、圧倒的にバカにしなかった場合の方が得をする。

だからそれでいいのかもしれない。

というか、「他人がミスをした時に、脳内で嘲笑してみる」という実験を何度もやりたくない。

実践を伴った形で科学的実験を情熱を持って繰返し行える人はすごい。

アドセンス
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スマリッジ
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