自己特有の症状を解決する訓練をする為に、他人の相談を親身になって聞いて自分一人で解決する習慣を付けるのは良い方法かもしれない

自分特有の症状というのは相談の仕様がない。相談というのは、自分と相手との間に何らかの共通項があり、その共通項に対しての私見や解決経験なんかを教えてもらうことで問題を打破する為の試みである。

だから、本当に自分だけが抱えている特異な問題に関して、他者が救いの手を差し伸べるのは非常に難しい。目隠しをしたままに外科手術をするようなものだろうか。

自分との闘いという奴が、そういう場合において始まるのである。

前例のない問題は解決が難しい。似たような事象はあるだろうが、それを自分一人で解決するとなると、一人の無力さを痛感させられる。普段、どれほど他者の力に助けられて生きているかを実感する。

面倒だと思うし、自分のスペックを痛感したくもない。だが、そうしないと問題解決は進展しない。そういう意味では自分でしか解決できない問題こそが、自分を成長させるチャンスになるのだろう。成長というのは、面倒だし辛いのが相場だ。

自己特有の問題で、まるで解決できていない状態というのは、その現象を上手に言語化できていない状態でもあるので、当然、その辛さを他者に愚痴ることすらできない。両者間に共通項があれば、言語化が乏しくとも何となくで理解し合えるが、それもない。

そうなると言葉にできないストレスを己の体内に抱え込み続けることになる。パフォーマンスが落ちて、問題解決が遠ざかる。

上手な表現方法が見つからない場合は、人間は原始的な方法でそれを無理矢理表現するしかなくなる。言ってしまえば、それは八つ当たりであり、多くの場合、暴力が伴う。

そんな残念なケースを避ける為にも、日々、言語で物事を表現する技術は鍛えておきたいし、自己特有の問題へのストレスの少ない対処法を考案しておくべきである。

自己特有の問題じゃなくても、自分一人で物事を解決する練習をしておけば予防にはなる。

その辺を鑑みると、他者の相談を積極的に聞いて、それを自分一人の問題として考えて解決を試みるってのも訓練の一つかもしれない。

他人を助けることが自分を助けることになる場合もあるのだろう。

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