「生きがい」とか「存在証明」とか「人生の意味」とかを考え始めるのは、「自分が社会の需要を満たせていない証拠」なのかもしれない

存在意義とか、存在証明とか。
よくJPOPの歌詞とかで出てくる用語というのがある。

要は「自分の人生の意味って何?」「私が生きている価値って何だろう?」みたいな奴だ。人は人に必要とされない事に苦痛を感じる生き物らしい。まぁ、集団生活によって繁栄してきた種族なのだから、疎外感というのは死に直結するからこその感情だろう。

昔の習性から考える「より良い生存」の為に、現代では存在意義を求める。やりがいであり、生きがいである。本来ならば、より良く生きる為の感情というのが、現代においては悪用されてしまっているのが面白い所である。

やりがい搾取というのがそれに該当する。これは、「お前に存在意義をあげるから、その分、給料は少なくてもいいよな!」という理屈で、金銭を搾取する方法である。

そうなのである。現代においては、「やりがい」というのはお金を出して購入する物になっているのだ。「求められている実感」を他者から購入する為に労働を行うなんて、全くもって間違っている。労働がある時点で、他者から求められているのである。なのに実感できないから、余計に金銭を支払う羽目になる。

人間は機械的な単純作業だけだと、何故か生きがいを感じられないらしい。「私だから、できること!」みたいな奴が欲しかったりするのである。だからこそ、「私がこのプロジェクトを抜けたら、大変なことになるぞ!じゃあ仕方ない、今日も私が組織の為に粉骨砕身してやるか!」みたいな精神状態になるのである。

不思議な物である。自分固有の価値がないと人は不安になり、安心する為に自分の蓄えを浪費するのだから。

まぁ、自分固有の価値というのは生存においては強固な価値だから、求める気持ちは分からなくもないけれど。

その辺を深堀りすると、「自分が生きてる価値って何だろう?」って思って「人生の意味」なんかを考え出してしまったら、それは本能が「希少価値を自己に保有していないから、生存活動が危ういよ!」とサインを出しているのかもしれない。

だとしたら、他者にお金を出して「他者に必要とされている感じ(偽り)」を獲得するよりかは、需要の高い知識や技術を獲得するとか、需要のある事業を起こすとか、そういう方向にシフトした方が将来的にいい感じなんじゃないだろうか。

他者から必要とされてしょうがない人は、たぶん生きている意味なんて考えない。

その代わり、「孤独になりたい」とか「一人っきりになりたい」とか「自由になりたい」とか思うのだろうが。

ないものねだりである。

アドセンス
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スマリッジ
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