勉強とは「記憶、抽象化、変化、具体化、解決。そしてまた記憶」の繰り返し

勉強って何だろうか?

よくよく考えると分からない。いや分からない訳じゃきっとないのだが、深く考えたことがない。

一般的な勉強のイメージというと、単語帳に書き込んで暗記したりとか、何度も書いたりとか、問題を解いたりとか。そういうことだろう。

つまりは、知識を記憶に定着させて、想起できるようにすることが勉強なのだろう。問題を解くことも、記憶された手順を忠実に再現するという意味では、暗記である。ただ、応用問題だったり、同じ知識だが、違う値を使用する場合は、知識という物を暗唱できるだけでは足りず、視覚的、論理的に記憶していなければいけない。

複雑な問題にしたって、一つの事象について記憶しなければいけない情報量が多いだけだったりする。他に必要になるのは脳内でイメージする能力だろうか。図形の回転だったり操作だったり、状況の想像だったり、そういうのはイメージ能力が大事になるだろう。

また、論理問題にしても、言語の変換だったりの能力が必要である。

その辺も端的に言ってしまえば、記憶しているかどうか、なのだろうか。

図形の回転だって、様々な回転された図形を記憶しておけば事足りるし、状況の想像だって近しい場面をたくさん覚えておけば良い。

論理の変換だって、パターン集は既にこの世に存在する。記憶で解決できる。

まぁ、だからと言って、単純な記憶力さえ良ければ、頭が良いとはならない。単純な記憶力だけなら、人間以外の動物の方が優れているケースもある、みたいな話を昔聞いたことがある。

人間の頭の良さは、曖昧にする。という点にある、とか言う話だ。似たような状況を同じに捉えたり、一つの事象を微妙に変化させて結果を予測したり、そういう事ができるのは人間だけだと。

演繹したり、帰納したり、そういう事は人間の特権なのだろう。結局、そこが人間の頭の良さなのだろう。

じゃあ、なんで演繹や帰納が頭の良さに繋がるのか、というと、帰納して法則を見つけることで、似たような状況に即座に解決できるようになるからだろう。

演繹することで、似たような問題を作成したり、新たなパターンを創出したりできるから、多くの問題を自分で作って自分で解決することが予めできる。これから起こることを事前に記憶しておくことで、対応可能にする。

この辺を総称すると、勉強というのは、たくさんの物事を覚えて、抽象化して法則化したり、曖昧にした上で具体化して別の問題にして解いたりすることを言うのではないだろうか?

記憶、抽象化、変化、具体化、解決。そしてまた記憶。

そんな感じだろうか。

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