真面目で道徳的で正義を持っている人間が自殺し、自分の幸せの為に平気で他者を不幸にする人間が繁栄する世界

倫理観とか道徳ってのは、個人の為ではなく社会の為に存在する概念なんだろうなぁ、と思う。

倫理とか道徳とかの定義だったり、具体的にそれが何を指すのかってのは、正直全然分からないけれども、それを遵守している人間の方が社会に絶望しているように思えるし、苦しんでいて損をしているように感じる。

逆に正義なんて概念はなく、個人や家族が幸せになるか否か?という観点だけで行動できる人間ってのは、狡猾だし強靭だ。間違っても己の行為を恥じて自殺なんてことはしない。

自殺する人は大概が真面目な人間で道徳とか社会的正義とか、美しい生き方とか、そういう物を追求してしまう人間だ。それは周囲から見れば綺麗で接しやすくて安全ではある。だが、その為に犠牲になるのは本人の心と人生だ。

結局、正義ってのは誰かしらの利得追求の思惑によって創造されたものってことを認識しておくべきなのだ。自分自身で正義を創造するのならば、短距離的には損をしても長期的にはそれ以上の得がなければならない。

他人から与えられた正義を精査せずに愚直に信じた人間の末路は、あまり幸せなものではない。

そんなこんなを思った。

正義を固く心に抱くが故に、社会に絶望する人もいれば、自分の利益を追求する為に、他人の家庭の子供を奪い取って売り飛ばそうとする人間もいるのだ。

高潔と思われる前者は自殺を選択し、下劣と思われる後者は逞しく生きていく。

この世界が残すのは、強くて柔軟な存在だけである。美しい心や正義なんて、世界は求めてはいない。

人間に高潔とか美しさとか、そういう空想上の神様が行うような事は無理なのではないか、と思ってしまう。

とどのつまり、人間は、ほとんど猿なのであろう。

奪い取って支配して繁栄して繁殖して、また支配して養殖して喰らって、また繁栄して繁殖する。そういう事に重きを置く生物の方が、強いし勝つし増えるのだから、さらに勝つだろう。

倫理や道徳ってのは社会との調和や強調の為にあり、過度に抱え込むものではない。

正義は誰が何の為に作ったものであるかを考えるべきである。己の利益にならない正義を所有するべきではない。

人間には美しい物語を紡ぎ出す能力があるが、美しい世界に住む才能はない。

アドセンス
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スマリッジ
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