比較によって幸福感を得ようとすると、徐々に人生が悪くなっていく理由

「比較によって幸福感を得る時」というのが、具体的には「他人を見下した時」であるからだ。

「他人を見下すごとに幸せになる」というシステムを自分に取り込んでしまうと、他人を見下す為に行動することになる。

その行動の中には、自己研鑽の要素も含まれるので短期的に見れば個人の能力は向上するだろう。

だが、そのシステムの中には、自分より能力が低い人間を探す、能力が低い人間を馬鹿にするという行動が存分に含まれる。

そして何より問題なのは、自己研鑽をしなくても、自分より能力が低い人間を探す能力が向上してしまえば、このシステムは成立してしまうのである。

どんな人間にだって粗はある。弱点はある。時には失敗だってする。

その他人の悪い部分だけを探し続けて、優越感を得て、自分は何も努力しないでいると、当然ながら他人から嫌われ能力は下落する。

能力もコネもなければ、地位も収入も何もかも下落する。

それでも幸福の為に他人の粗探しをし続ける。

そうなれば、有名人をツイッターで誹謗中傷したり、能力が低い人間とつるんだりするしかなくなる。

だから、比較によって幸福感を得ようとすると、徐々に人生が悪くなっていくのである。

比較と幸福を簡単に直結させるのは問題である。

比較対象はあんまり多く持たない方が良い。優秀なライバルの一人二人くらいにしておいた方が良い。

まぁ、常に上昇志向を持って、自分より能力が高い人間と比較し続けられる才覚があるならば、向上し続けられるのだろうが、それでも精神的には辛いだろうな。

比較は能力向上の為に、要所要所で使用し、幸福は別の何かで確保しよう。

アドセンス
改行

スマリッジ
改行

toppage