積み上がるものがないと虚無感というか寂しさというか、不安というか。そんな気分にさせられる。

積み上がるものがないと虚無感というか寂しさというか、不安というか。そんな気分にさせられる。

資産的な物が積み上がるとか、能力的な物が向上するとか。そういう何かしらの上昇感が一日の終わりには欲しいのである。

今日一日を頑張った事への対価が欲しいのだ。当然だろう。

ただ、そういう何か積み上がった所で、最終的には虚しい気分になったりする。

私はいつか死ぬからである。そこで積み上げた全ては潰えるからである。

その寂しさが嫌で人は子孫を残すのだろうか。残した子孫が私を引き継いで、積み上げ続けてくれるだろうと信じて子孫を残すのだろうか。

子供を残した所で、私が消えた未来に子孫が残り続ける保証はない。それでも積み上げた虚しさに打ちひしがれるよりかはマシなのだろうか。

そもそも積み上げた所で、何かあるのか?能力やら資産やらが一定地点まで積み上がったからと言って、何かが変わる訳ではない。

私がやらなくても、いつか他の誰かがやる。すぐには現れなくても、遠い未来で現れる。現れなくても、特に何もない。

その辺を考えると、積み上げたがる意欲は、単純な本能なのだろう。理由はない。ただ、そういう本能を持たない人間は、この世界に残り続けたりはしない、というだけの話。

そうなのである。この世界に生まれたということは、「この世界で生む選択をする生物」から生まれたということなのである。

そういう生物の遺伝子を引き継いでいるのだから、私自身だって「この世界で生む選択」をしたがるのは必然である。

正しいとか間違っているとか、そういう話ではなく、この世界という箱には、そういう物しか格納できないという話なだけである。

だから、積み上がるものがない虚無感に苦しむのは本能である。本能であることを認識できれば多少は楽になるだろうか。ならないだろうか。

不思議なのは、そういう本能を見つけて、馬鹿馬鹿しいと思ってしまったりするのも、私自身であるという点である。

積み上げと繁殖を是とする遺伝子を引き継いだ私が、それを否定するならば、祖先もまたそう考えて、考えたけれども否定を否定して繁殖したのだろうか。

人間は、考えなくて良いことをわざわざ考えて苦しんだりする不思議な生き物である。

アドセンス
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スマリッジ
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