中毒性のある快楽は論理を破壊して正当化を目論むが、それを食い止めるのは前頭葉なんだろうな

批判ってのは、言葉の暴力だから、やっぱり動物である人間にとっては楽しいのだろう。

正義だとか議論の発展だとか、そういう建前を使って今日も誰かが誰かを殴る。

これは快感であり、中毒なのである。

大麻が危険だ安全だ、なんて議論があるけれど、もう現段階でそれと同等かそれ以上に危険な中毒性のある物は存在するのである。

酒、タバコ、誹謗中傷、暴飲暴食。

きっと他にもたくさんあるのだろう。

ただ、そういう物はやり玉には上がらない。各々の業界が圧力を掛けてそれを守るからである。

大麻だって、解禁された途端、どこかの誰かが会社を立ち上げて経済的な強さを獲得して、雇用を確保して、圧力を保持するから、大麻を正当化する理屈が乱造されて必要な物へと認知されるだろう。

結局、その存在の正当性なんてのは、暴力を保有するかどうか大きいのである。

酒だってタバコだって、それを扱う人間が多大なる金を保有しているから認められているのである。いくら批判されようとも、経済力があり需要があるなら保護される。

喉が乾いているからと言って、酒を飲む、というのは本来おかしい。まずは水を飲むことを考えるべきだ。

だが、議論の発展が必要だと言って、誹謗中傷をする人間は、今、溢れている。

中毒と快感はそれ程に、人の論理性を破壊するものである。

その辺を考えると、大麻を解禁の如何をどうのこうの考えるのも、何か馬鹿馬鹿しさを感じる。もう遅い。今更何を言っているんだ、という気分である。

悪いけれど、やめられないものに溢れているし、やめられないものはいつか正当化される。

人間は長期的な健康よりも、短期的な快楽を選ぶのだろうか。

その差異はきっと、計画性を司る前頭葉の働き次第なんだろうな。

アドセンス
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スマリッジ
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