「なまくら」なのに、よく切れる

第二巻である。

今度は「鈍」である。

斬刀!と枕があった上での「なまくら」である。

あんまり刀についての知識がある訳じゃないけど、「なまくら」って駄目な刀についての呼称じゃなかったけ?

 

「いかん、もうそいつはなまくらだぜ!捨てちまいな!」

みたいな。

まぁ、そういう意味で斬る刀でなまくらとは非常に意外性があって読者の目を引くのである。

なま‐くら【▽鈍】
[名・形動]
1 刃物の切れ味が鈍いこと。また、そのさまや、その刃物。「―な包丁」
2 力が弱いこと。意気地がないこと。また、そのさまや、その人。「―なからだ」「そんな―なことでどうする」
3 腕前が未熟であること。また、そのさまや、その人。「―な芸」
なまくらがたな【鈍刀】
切れ味の鈍い刀。なまくら。
なまくらぶし【鈍武士】
なまくら刀を帯びた武士。また、意気地のない武士。こしぬけざむらい。
なまくらよつ【鈍四つ】
相撲で、右四つ・左四つのどちらで組んでも取り組めること。
goo辞書より引用
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/164816/meaning/m0u/
鈍(なまくら)の意味 – goo国語辞書

こんな感じで辞書を引いてみても、やはり駄目な感じである。

駄目な名前だけれど、その実、この刀は四季崎記紀が打った12本の刀の中で「よく切れる」事を主眼にした刀だという。

 

まぁ、そういう意味ではやはり意外性なのだろう。

それとも皮肉なのだろうか?


よく切れるって言うけど、一本でも攻撃が入ればそれでKOな気がする

一対一での刀と刀の真剣勝負においては、よく切れるという特性はどのくらい役に立つのだろうか?

 

一対一ならば、とにかく刀を相手に当ててしまえば、よく切れようが、そうでなかろうがあんまり違いはないように思う。

 

とりあえず切れれば、それで生身の人間なんてKOだろう。

 

少なくても二撃目は最初よりも非常に簡単に成功するはずだ。

そう考えると、刀としての強さは、よく切れるよりも、

 

・確実に当たる
・長く使っていられる
・自分の危険を回避した上で使用できる

 

とかいった特性の方が強さに直結するのではないだろうか?

 

とはいっても、「刀が簡単に切れる程の切れ味を持った刀」となるとまた話は別なのだろう。

 

刀と刀がぶつかり合った時にはもう勝負はついているようなものなのだから。

 

カキーンってぶつかり合った時には、相手の刀は切れて、そのまま相手の体に向かって刀は飛んでいくからである。

 

そういう意味では斬刀「鈍」は確実に当たる刀に近しい部分があるのかもしれない。

刀のカッコよさより、宇練銀閣のカッコよさの方が大きい

この第二巻。

 

魅力は刀だけにはないと思っている。

 

刀よりも刀の保有者「宇練銀閣」の方に魅力が詰まっている作品だと私は感じる。

私はアニメ版を先に見ているから、「声がめっちゃかっこいい」という魅力を感じてしまってはいるが、作品で語られるキャラクターだけを見ても、十分に魅力的である。

12本の刀の中で一番声がかっこいいのは宇練銀閣であると私は思う。

 

渋い!渋すぎるぜ!って感じである。

で、この人は何のために戦い、何のために生き、何を守ったのだろうか?

 

という事がこの巻では重要なのではないだろうか?

 

宇練銀閣の生き方を鑢七花が学びとる事で、彼は人間らしさを構築していっているはずだから。

その過程では、宇練銀閣は初めての人間であるし、初めての「生き様」である。

守るものと気位を持って全身全霊、この戦いで命を捨てる覚悟で挑む宇練銀閣。

 

「守るものがあった方が強いってことだ」と言いながら護衛対象を踏みつけにして戦闘に勝利する鑢七花。

この両者、外面だけを見るのならば似通っているのかもしれないが、内面は恐ろしい程に逆である。

そして逆であるからこそ、鑢七花は人間の生き様を学習するのだろう。


まとめ

やはり戦闘シーンはラノベよりもアニメの方が熱中できた。

 

しかしやはり心理描写の方はアニメよりもラノベである。

 

当然ながら、それが活字と絵画の違いなのだろう。

 

だから、何かを理解するためにはやはり多くの観点から物事を観察する必要があるのだろう。

 

それくらいに、アニメとラノベでは宇練銀閣に対する印象は違った。

生き様の格好いい男であり、刀の毒に犯されなかった男である。

鑢七花のまともに対戦した初めての男が宇練銀閣だったからこそ、この物語はああいった終わり方をしたのではないだろうか?

 

前半部分のほとんどが真庭忍軍だったら、どうなってたんだろうか?

それはそれで見てみたい。