誰にだってコンプレックスや障害はある

障害という言葉を使うと、医者や学会などで定義が確立された障害や病名などではいけない、と考えてしまう人もいるかもしれないが、今回は自分の人生にとって大きな壁になっていることを障害と呼ぶ。

別に世間から認知されなければ、自分が苦しんでいる事を主張してはいけない、なんて理屈はない。

そんな名前が付かない障害は世の中にはいくらでも散らばっているし、誰にだって存在するのではないだろうか?

笑顔の裏には何かが隠れているのである。

それを必死で隠している人もいるし、自分自身も気が付かないで無意識の内で苦しんでいる場合だってある。

希望的観測ではあるが、人間とはそういうものではないだろうか?

完全に希望的観測であり、私自身がそうであって欲しいと勝手に思っているだけなのだが。

「別に苦しんだ分幸福があって、幸福になった分、不幸がやってくる。」

みたいな、プラマイゼロの法則がある!

という主張がしたい訳ではない。

しかし、だからといって、「完全に満たされている人間がいて、それに比べて私は欠陥ばかりだ」と悲観して人生を生きるよりは、誰もが皆、分量は違えど障害を持っていて、それぞれ頑張ったり苦しんだりしているんだ!

と考える事によって、少しはポジティブに生きられるのではないか?

という話である。


だったら、自分より不幸な人間を想像した方がまだマシ

他人を「架空の話として不幸」にして、自分がちょっと前向きに生きる方法である。

こんな考えを、人は「後ろ向き」だとか、「暗い」だとか言って批判するかもしれないが、誰も傷つけずに自分を少し幸福にする考えならば、それは明るいのではないだろうか?

自分より不幸な人を見て、少し安心する自分はいないだろうか?

世界に存在する恵まれない子供達に少額の寄付をして、気持ちが楽になった事はないだろうか?

人間には、「他者より自分が上である」という感覚をもって幸福になるケースは多々ある。

それは紛れもない事実である。

その事実を認識して、その特性を上手に活用して、暗い感情を効率的に排出してこそ、心身は健康になるのではないだろうか。

私よりもダメな人間がいる、という安心感

そんな中でも「皆も、誰も知らない所では苦しんだり頑張っていたりするかもしれないんだ。だから私だけが不幸じゃないんだ。」という思考方法は、比較的健全な精神の調整になるのではないか。

人によっては非常に前向きだと感じる人も多いはずである。

本当は汚く、暗い物であっても、それを上手にオブラートに包んで、綺麗に排出する技術は人間の十八番である。

動物を殺した事のない人でも食肉にありつける。

この事実だけでも、十分にその性質を表しているように思える。