好きな人はいるだろうか?

その人のどんな所が好きだろうか?

優しい所だろうか?

頭が良い所だろうか?

それとも外見が綺麗な所だろうか?

嫌いな人はいるだろうか?

その人のどんな所が嫌いだろうか?

いじわるな所だろうか?

役に立たない所だろうか?

それとも不細工な所だろうか?

そんな事を考えていくと、「じゃあ優しい人はどんな人にでも好かれるのだろうか?」と考えてしまう。

どうだろうか?


人間関係はパズルみたいなもの

誰かに優しくして欲しいと願っている時に、誰かに優しくされたら当然嬉しいだろう。

しかしながら、今は一人でいたい、放っておいて欲しい、と考えている時に優しくされたら不愉快だろう。

じゃあ、容姿端麗な人間は誰からも好かれるだろうか?

容姿端麗な人は当然外見の印象が良いから基本的には周囲の人間に好印象を与えるだろう。

しかしながら、「美しさを求めながらも、それを手に入れる事ができない人間」にとっては、容姿端麗は嫉妬羨望の対象になってしまう。

そういう人間からすると、「容姿端麗な人間は不愉快であり、嫌いな存在」なのである。

では逆に不細工な人間はどうだろうか?馬鹿な人間はどうだろうか?

自分の容姿に自信がない人間からすれば、安心感を与える存在になるだろう。

頭が良すぎて、気苦労が絶えない人間からすれば、馬鹿と一緒にいる方が気持ちが楽になって癒されるだろう。

特徴に対して人類共通の良し悪しなんていうものは、この世には存在しないのである

人は人を好きになったり嫌いになったりするけれど、どうしてそうなったのか?と考えていくと、最終的には「自分にとって都合が良い」という回答が見つかってしまう。

残念ながら、人間が一番に愛することができる存在は自分なのかもしれない。

だから、誰かに言われる「君の性格は駄目だから、こうした方がいいよ」とかいう助言については用心して聞いた方が良いだろう。

なぜなら、こうした方が「いいよ」とは、「自分にとっては都合がいいよ」の略式言葉だからである。

それと同様に、将来の選択肢について他人に相談する時も気をつけた方が良いだろう。

そこにだって自分の都合が入り込む。

安定した収入が欲しいと思っている母親に、「公務員になろうか、ミュージシャンを目指そうか」と相談したら、間違いなく公務員と回答される事は、誰にだって理解できるはずだ。

こんな簡単な状況ならば理解できることが、複雑化すると不思議と理解が難しくなるのが人間の面白いところである。


誰に相談するか?は自分で考えなくてはいけない

だから相談する相手は、「利害に関係のない人間」を選択するべきである。

いつも親しくしてくれている仲間でも、その仲間の不利益になるかもしれない相談を持ちかければ、平気で牙を向くものである。

人間同士の好き嫌いなんていうのは、パズルのピースが合うかどうか?くらいな感じで決定されるのである。

他人の評価を鵜呑みにしないように。