見やすいものは見られやすい

どんなに感情が入っていて、人を感動させる記事でも。

どんなに有用な知識とその応用法が記述されている記事でも。

読みにくければ、読まれない。

伝える側になると、どうにもそれがわからなくなってしまう事がある。

自分が持っている熱量でそのまま相手も読んでもらえると勘違いしてしまうのだと思う。

書き手からすると、自分の人生であったりする場合もあるから、余す所なく見ていって欲しいと思う。

しかしながら、読み手からすると、ただの風景の一つに過ぎない。

ちょっと車でドライブしている時の看板に、

  • 読みにくい文章
  • 読みにくい文体
  • 理解しずらい内容

で素晴らしい事があっても目にも留まらないだろう。

ドライブにはドライブにふさわしい看板があるはずであり、内容がどうであれ、そういう看板に目がつくのは当然だ。

しかしながら、そういった書き手と読み手の距離感は測りにくいし、測りながら記事を書いてもあんまりおもしろくなかったりする。

やはり書きたいと思う事を思う存分書くからブログは面白いのだと思う。

だから、別に文章の熱そのものを調節する必要はないと思う。

しかしながら、「読みやすさ」くらいは読み手のためになんとかした方が良いんじゃないんだろうか?

自分の気持ちと相手の気持ち

書き手としては自分の気持ちを伝えたい。

読み手だって、可能ならば相手の気持ちを理解したい。

そんな機会があるにも関わらず、「文章が読みにくい」という下らない要素で、そんなチャンスを逃す事はないと思うのである。

言うなれば、中身は同じで、綺麗な箱と汚い箱だったらどっちが欲しい?

という話である。

答えるまでもなく綺麗な箱を選ぶと思う。

そういう当たり前の話として、文章の読みやすさである。

ブログのデザインである。

やっぱりそういうのは大切である思う。

ちょっとした改行や、句読点、かっこの使い方なんかでグッと記事の読みやすさは変わっていく。

そしてその些細な内容によって、お互いを理解し合える機会が増えるのだと思う。