正常性バイアスとは

正常性バイアスとは、「危険な状況に晒されても、日常の延長線上の出来事として捉えてしまい、危険を軽視してしまう」ことである。

要は、「前回も大丈夫だったから今回も大丈夫」「私は運が良いから大丈夫」「自分なら大丈夫」といって、本当は日常とはかけ離れた状況であるにも関わらず避難行動を行わない、という事だ。


どうして正常性バイアスがかかるのか

こういう事例はいくらでも存在するようである。

東北地方太平洋沖地震の時なんかも警報があるのに、避難を行わない人がいたようだ。

こういう話を聞くと「どうして逃げないんだろう?」なんて客観的には考えてしまったりするのだけど、実際自分がその状況に直面したら逃げないのかもしれない。

  • 皆が逃げないから私だけ逃げると恥ずかしい
  • 前回と似たような感じだから、今回も逃げる必要はない
  • いちいち階段を降りるのが面倒だから、きっと大したことないから動かない
  • 男だから、こんな事でギャーギャーと喚き散らすのはダサい、かっこ悪い
  • 今まで死んだ事がないから、今回も死なないだろう

みたいなケースが考えられるだろう。

特に、若い男性なんかは意地とプライドが踏ん張ってしまい、逃げるなんてケースは皆無だったりするんじゃないだろうか。

そんな事例を含めて正常性バイアスは危険なんだ、という話である。

避難訓練って無意味で無駄な気がする

確かにその通りである。

そしてその対策としては避難訓練を行う事という事らしい。

まぁ、学校でも会社でもやっている事だし、それが一切の効果がないという訳でもないのだろう。

しかしながら、その効果は薄いと思う。なのにそんな避難訓練を行う理由としては「体面を保つため」という所が大きいのではないだろうか。

災害が発生した時に民衆から「どうして災害の予防をしなかったんだ!」と追求されるのはダメージが大きいから、とりあえず皆で足並みを揃えて危険予防をしてますよアピールをする。

環境が変わっても避難訓練の内容は一切変わらないし、時代が変わっても変わらない事を見ると、そんな事を思う。


問題なのは正常性バイアスではない、避難と待機の線引きが認識されていない事である

正常性バイアスとは、人間の日常を維持するための能力である。

暑かったら汗をかき体を冷やすように、危険な事が起こったら安心の材料をかき集めて心を落ち着ける。

これ事態は人間の能力の正常な範囲内なのである。

だから正常性バイアスそのものを危険視するのは間違っているような気がするのだ。

それよりも問題は、「何がどうなった時に逃げるべきなのか?」という具体的なルールを細かく決定して記憶、できれば実際の訓練を行うべきであると思う。

実際そうでもしなければ、正常性バイアスは絶対に働く。

だって、練習で考えないような、できないような事が急に本番が来た時にできる訳がないのだから。

だから、「何がどれだけ揺れたら問答無用で逃げる」みたいな多少大雑把でもいいからルールを決定するべきなのだ。

その辺を考えないで、アナウンスやニュースだけに自分の命を任せるのはやはり間違っている。

とはいえ、本当に稀にしか発生しない出来事に対して細則まで決定して日々認識を行う、というのは中々難しい事である。

でも、その辺の時間を毎日2、3分程度でいいから確保する事ができれば、被害は大幅に減少するのではないだろうか。