世界は陰と陽で構成されている

世の中にそもそも右と左が存在するのが間違っていると思う。

そんなものが存在するから善と悪が存在するし、光と闇が存在するのである。

まぁ、別に陰と陽でいいんだけど。とにかく正反対のものってのが存在するから世の中ってのは面倒なのである。

「人間に上も下もない!みんながそれぞれ平等だ!」って言葉なんかは資本主義社会という土の上で生命を育んできた私達にとっては狂言にしか聞こえない。

この世ってのは「無を二分割したら、プラスとマイナスが生まれて、それがぶつかり合って大きくなって作成されたもの」みたいな設定をどっかのゲームやら本やらで聞いた事がある。

実際何で知ったか忘れたけれど、非常に心に深く突き刺さる言葉であった。

どうにも、マイナスが存在しないで済むにはプラスも一緒にさようならするしかないんだ。と強く感じて子どもながらに感傷的な気分になっていたりした。

なんであれこの世は陰と陽で構成されており、大体の人間は陽の世界で生き続けたいと思って、陽の人間を妬んで恨んで陰でバカにして、やっときた蜘蛛の糸みたいなレベルのチャンスに最初はまるで飛びつかないで怖気づくのに、皆がやりだすとそれに習って右へ倣えで飛びかかって、皆で高い所から落下するのがお笑いである。

陽の人間ってのは明るく楽しく元気よく、さらには誰にもとらわれない。そんな人間である。

どっちが陰でどっちが陽だったのか?

人生の大事な局面でも、仕事や学校が終わった後にどうするか?っていうどうでもいい場面でも、人間は選択を常に迫られる。

大事だと思っている局面だろうが、どうでもいいと思っている場面だろうが、その選択の大きさは後になってみないとわからない。

結局は自分が大事だと勝手に思い込んでいるだけの事であり、遠くから振り返ってみなければ、本当に良かったかどうかを推し量る事が不可能である。

だから人は、「もしもあっちを選んでいたらどうなっていたのだろう?」という妄想に日夜悩まされるのである。

今日も私は考えて悩んでいる

まぁ、どうでもいいのである、結局の所。

最近の私は悩んでばかりで考えてばかり、どうでもいい事に人生の貴重な時間を無駄にしている事が多いので疲れてしまっているのだろう。

だが、やはりどうでもいいのだろう、選択なんて。

迷っている時点でどっちに行っても対して変わらないというじゃないですか。明らかにやばい選択肢は私が私の身を案じて避けてくれると信じて前に進むしかないのでしょう。

よく私は悩むけれど、悩むの好きで生きている訳ではないんだよね。楽しい事がしたいから生きているんだよね。

じゃあさっさと面白い事に熱中して生きていればいいんだけれど、どうにも悩んだり、やりたくないけど将来のためにやらなくてはいけない事をしたり、つまらない会合に参加したりする。

もう全部諦めてしまえばいいのに、といつも私は私の頭に訴えかえるのだが。

どうにも私の生存本能というのは死なないための機能であるらしく、楽しく生きるための本能ではないらしい。だからこんなくだらない事に時間を使えるのだろう。

さて、楽しく生きるための本能や理性はどうやって目覚めさせればいいのだろうか。