信じる者は救われる?

名言ってのはこの世にたくさんあって。中には相反する内容の名言なんかも目白押しなんだけど、言葉のカッコよさだったりとか、発言者のネームバリューだったりとか、認知度の高さだったりと、そんな要素が複合的に作用して、別に絶対的な正しさなんて有していないのだけれど、日常的に頻繁に使用されていて、絶大なる効力を持っている。

まぁ、別に今日は名言の話をしたい訳じゃない。

ただ、というか、名言だっけアレって。

いや、今思い返すとアレって名言じゃないな。

あの、「信じる者は救われる」って奴はたぶん名言じゃないな。なんだあれは。なんだっけ宗教的な何かだっけ?まぁ信じる云々言っているからそうなのだろう。

でだ、冒頭の名言の下りが必要だったかどうかはわからないが、どうにも「救われるためには信じることが必要だ!」という主張が先程の名言的な言葉からは察することができる。

なんでか知らないけど、昔の偉い人はそう思ってそう言ったら、みんなもそれに感服して後世にまで伝えられているのである。まぁ、言葉が伝わっても意味が伝わらなければ、それはただの音声信号であるから無意味と言えば無意味なのだが、私みたいな人間だけでなく、敬虔なキリスト教信者の方々もこの世には存在するのだからノープロブレムである。


蜘蛛の糸、垂れる条件

で、蜘蛛の糸にしたってそうなんだけど、なんであれ当然の事なんだけど、注目される人間ってのは目立つ人間のことなんだよね。
(酷いトートロジーであるが、私の言いたい事はきっと伝わっているはず!)

要は目立たなければ、そもそも救うかどうかの選定基準に入らないのだから、救われようがないって話。

だから誰かのご厚意が得られる事を信じて待つよりも、ただひたすらに自分という存在が認知されるように努力した方が俗世を豊かに生きるためには有効であるという話。

こんなの言うまでもないか。皆それを知ってるからせっせとネットの記事に火をくべて一人で熱烈なダンスと伴にキャンプファイヤーをしているのである。

上手く火が着いたら誰かさんが蜘蛛の糸を垂らしてくれるから、それをよじ登ればウハウハのモテモテの億万長者である。

そんな多くの人からの注目を得るために、今日も毎日、誰もが誰かに救われたいがために、成長努力希少化差別化という研磨作業を繰り返してスポットライトの光に群がる蝶のように舞うのである。