こんな当たり前の主張をしなくてはいけない時代

今の時代だから、こんな事態になっているのかは知らないけれど、頭の悪い人だったり都合よく人を支配したがる人ってのは「常識、普通、当たり前」という洗脳行為を悪びれもせずに息を吐くように無垢な少年少女に吹きつける。

ブラック版三種の神器である「常識、普通、当たり前」というドラえもんもびっくりな洗脳装置に「正義、生きがい、人のため」というアタッチメントを使用することで、将来への希望に満ち溢れた若者たちを便利なATMに改造することができる。

騙すほうが悪いのだが、騙される方も悪い。

これは正論だが、現実に則っているとは言い難い。

全会一致で正論の通りに皆が思考し行動する事ができれば、この世はもっと平和に穏便に済むのかもしれないけれど、個性という自己表現がそれを許さない。

よって、正論は正しいけれど、正論ベースで現実の色々に取り組むと上手くいかないと私は考える。

要するに、騙される方が悪いのではあるが、それでも現実的に無垢で純真でバカな若者たちが、何の知識もない社会へと飛び立てば、それこそ騙されるのは「常識、普通、当たり前」の事なのである。


NGワードを聞いたら脊髄反射的に警戒しろ!

「常識、普通、当たり前」

こんな言葉を人の理念やら意見やら根拠の中で聞いたのならば、その人について警戒するべき。私はそう思っている。

なぜならばそれは、根拠でも理屈でもなんでもないのに、自分の意見を無理やり押し通そうとする態度に違いないからである。

勿論、コミュニケーションの手間を軽減するという意味合いで、上記の三種は役に立つ。だから何度もグループ内で共有され納得された情報であるのならば、会話の一部にそんな言葉が通り過ぎても無理はないかもしれない。

だが、重要な内容で、初めて意見交換を行う内容にて。

そんな場面にて、「常識、普通、当たり前」で意見を通そうとするにはあまりにも危険である。

相手の意見を受け入れず、自分の意見だけを無条件に受け入れさせようとするその行動は、もう話し合いだとか意見交換という名前を付けてはならないだろう。

それは暴力であり、洗脳である。

よって、その3つの言葉を聞いたら即座に退却するのが、お利口である。

正しく話し合いができる人間なんて超レアである

話し合い、意見交換、会議。

こんな言葉は誰でも知っているし、誰でも行う。

しかしながら、その言葉の意味が皆の中で共通している部分というのは「複数人が言葉を交わす」程度のものでしかない。

  • 自分の権力を誇示するため
  • 相手の時間を奪うため
  • 混乱させるため
  • グループへの帰属意識を高めるため
  • 相手を自分色に染めるため、つまりは洗脳するため

表面上の内容は共通しているかもしれないけれど、その先にある目的は皆バラバラである。

「お互いの意見を交換して琢磨することで、お互いの共通目標を達成する確率を高める」

という綺麗な目的で意見交換をする人間なんてまずいない。

みんな自分の何かしらの欲望を満たすために、意見を駆使しているに過ぎない。

だからこそ、相手をまるごと自分の養分にしようとする人間には警戒しなくてはいけない。

そんな危ない人間を知るためのワードが「常識、普通、当たり前」である。