悪いことをしたら謝るけど

人は生きれば過ちを犯すこともあるだろう。

過ちを犯した事に気がついた人間は謝罪という行為に出る場合もある。
(出ない場合もある、開き直るパターンもある)

よって謝罪という行為が実現する。

それによってどういう結果が発生するのかは不明であるが、大体のパターンは現状よりは良くなる事が多い。

表面だけを観察すれば、謝罪というのはコミュニケーション修復のための行為である良い行為だと言えよう。

しかし、謝罪の理由は人によって多岐に渡るので、謝罪される場合は真に受けない方が良い。

どうして謝るのか?

謝罪は表面を観察すれば良い行為である。

しかし内面を覗くとどうだろうか?

そこには人の腹黒さを象徴するような様々な理由があるのではないだろうか?

表面上、道徳的正義上。つまりは謝罪の建前の理由としては「他者に与えてしまった肉体的精神的な傷を癒やすための行為」だと認知されているのではないだろうか?

この場合の謝罪は「他者をメイン」として話が進められる。

他者に不快な思いをさせてしまったのだから、少しでもその不快な思いを軽減させたい!!

だからこそ謝罪を行う。これが一般的な認識であると勝手に考える。

しかし現実はどうだろうか。皆が謝罪する理由は本当に上記の一点に尽きるかと問われれば、きっとそんな事はないだろう。

自分の心のために謝る人

  • 社会的な評判を保ちたいから。
  • 恨まれると後々面倒だから。
  • 誠実に謝る姿を衆目に見せつける事で社会的地位の向上を目論む。

まぁ、こういった利己的な理由で謝罪を実施する人も存在するだろう。

社会的な生き物としては至極妥当な行為である。

この場合においては、謝罪の仕方の端々に、傲慢さだったり横柄さだったり嫌々だったりと本心が見え隠れしながら行われる事が多い。

誠実さを匂わせながら、上記の目的で謝罪を実行できる人間は優秀な人間である。
(世の中には、本当は自分は一切悪くないけれど、どうしても状況的に謝罪をした方が得な場合があるからである。)

さて、上記の話とは関係ない。

さらには、相手の肉体的精神的な傷を少しでも癒やしたいと思っている訳でもない。

にも関わらず、執拗に非常に面倒な具合に謝罪を行う者がいる。

自分の罪を他者に解消してもらおうとする人

こういう人がたまにいる。面倒である。こちらとしては既にどうでも良い過去の事実に変化しているというのに、謝罪行為を執拗に行ってくる。

どうにも謝罪側の心に収まりが付かないようであり、何かに付けて謝罪行為を繰り出してくる。

どうやっても不自然であるし、迷惑であるのだが、その行為を止めるつもりはないらしい。何かの言葉を期待しているようである。

その原因に確かな証拠はないけれど、「謝罪側に存在する罪悪感を解消するための手助けを被害者に求めている」ように思える。

被害を加えておきながら、その罪の解消までをも被害者に委ねようとする輩がどうにも存在するように思えるのである。

まぁ、勝手な推測であるが。

自分の罪は自分で解消するのがいいと思うよ

昔は免罪符って奴があったらしい。お金を払って買うと自分の罪が解消されるらしい。商売のセンスが素晴らしいと思う。

形のない罪。自分で作った罪。

そんな罪を自分では解消しきれないで、他人にその解決を委ねる人間は昔から存在したって話である。

現代には免罪符はない。

よって、明確な形で罪の解消を目論むのであれば、被害者にアタックをするのが一番効率が良い。

自分の中にある罪悪感を消したくてたまらない人ってのは、被害者に「あなたを完全に許します。というかあなたは本当全然悪くないんだよ!」ってニュアンスの台詞を渇望している。そのために面倒なお節介や気遣いが乱発するのである。

世の中には面倒な人がいるもんだなぁ、という話である。

「何を持って罪が完全に消滅するか」なんて言う境界線は存在しない曖昧なものであるから、不安になる気持ちはあるのかもしれないが、それによって被害者にさらなる迷惑を掛けるのは愚の骨頂である。

自分の罪を消滅させる事ができるのは自分だけである。