未来は複数存在しないから

最善を尽くす。こういった行為は存在する。実際の意味合いとしては全力を出すって意味だろう。

だが、「これがベストだった」「もしああしていれば最善」だった、みたいな表現は間違っていると思う。所詮は空想だと思う。

妄想空想もしもの話ならば、人はなんとでも言えるって事である。その辺についてあーだこーだ話だ所で埒が明かないし意味もない。

過去も現在も未来も、一つしか存在しない。よって複数の過去を比較するなんて事は不可能である。比較できない事象に最善だとかベストとか言った言葉を使うのは間違っている。

空想は綺麗に都合良く書き換えられるのが人の常であるから、そんな嘘と現実を比較して「こっちの方がベストだった!!」というのは物凄く間違っている。

つまりはベストを尽くす、最善を尽くすってのは、「今ここの現実において、自分の気持ちを最大限まで高めるための激励の言葉」として作用するだけである。言葉の綾って奴である。

それ以外は空想幻想の嘘まやかしであるので気にしない方が良いと思う。


今ここにいる私がベストかどうか?

もしあの時ああしていれば、今の現実はもっと良くなっていたはずなのに。

そんな空想はきっと多くの人が行った事だろう。SFや小説やゲームになって大流行する事が多々あるので、人気の空想ネタなのだろう。

無論空想として楽しむ分には楽しいので問題ないと思う。

しかし空想は空想であり現実は現実である事を理解せずに、「もしもの世界」という思考回路を現実に適用してしまうと、大概は精神衛生上よろしくない事が起きる。

現実は萎み、理想は膨らむ。こういう法則があると私は勝手に思っている。

その法則に基づくならば、「もしもの世界」を妄想する度に、現実の私への評価は低くなる一方である。大概そうだと思う。

「もしもの世界」で物凄く悪い妄想をする場合と、物凄く幸せな妄想をする場合。どっちが多いだろうか?きっと幸福な妄想をする事の方が多いはずだ。

そんな妄想をする度に現実の私を苦しめてはいないだろうか?

今ここの私こそがベスト!なんて事は言わないけど

妄想で自分を虐めるのは良くないって話である。

「苦難も幸福も色々あったけど、そんなこんながあったからこそ今の私は最高に輝いているベストな状態なんだよ!」みたいなキラキラした事を言うつもりもない。

人間は社会的動物であり、比較が大好きな生き物であるから、他者だけでなく「自分」と「空想の自分」までをも比較対象にしてしまう事がある。

今の自分はベストか?

この問いに関してはこう答えるしかない「そもそも質問が間違っている」と。

「実際には存在しない都合の良い理想」と比較して自分を卑下するなんて明らかに間違っている。

ありのままの自分がベスト!なんて言わない。

ただ今の自分が現実に存在するだけである。それだけの事である。それについてどうのこうの言う必要はない。

有りもしない事をアレコレと考えて落ち込んで何も出来ない事を人は杞憂という。

このゲームは本当に面白かった。空想は楽しむためにある!!