私の部屋のインテリアの要素がひとかけらも存在しない理由

よく見るお部屋のインテリア術!なんてのって、綺麗な景色として鑑賞する事は多々あるけれど、実際に自分の部屋にそれを取り込もうと思った事は一度もない。

他者様のブログでもそういう記事が上がって星がたくさん付いていたりするけれど、自分のそれをやろうと思った事は一度もない。

私は私の部屋に求める事ってのは快適な空間であって、その快適な空間の条件には綺麗な風景ってのは含まれていないんだよね。

単純に過ごしやすいってのが重要。必要な物が取りやすいとか、動きやすいとか、邪魔なものがないとか。

そういう意味では私の部屋はそこそこ綺麗だ。だがインテリア的な綺麗さは有していない。

単純に物が少ない。必要な物しか置いていない、邪魔なものはいらないからさっさと捨てる。

私は何か物を購入する時は、どうやって捨てるかまで考えるようにしているので、どうしても捨てられない物ってのもないから、結果として私の部屋は「何もないという意味で綺麗」だ。

要は視覚的な快感を私は私の部屋に求めない。

だから私の部屋はインテリア的デザインとは無縁なのだ。

インテリアにこだわる人は友達が多い法則

要はアレだと思う。

インテリアにこだわって物凄くオシャレな部屋を作り出す人っていうのは、友達がたくさんいて、自分の部屋に友達を呼び込んで部屋のインテリアが話題になったりして、とても楽しかったりするのだろう。

つまりは自分の部屋が他者の目線に晒される機会が多いから、その場所を綺麗にする、こだわるってことだ。

これは至極当然の話だ。

学生が制服のデザインにこだわるのも当たり前だし、社会人がスーツのブランドにこだわるのも普通の事だ。

他者から見た自分の価値を向上をさせるために人は動くってだけの話だ。

だから人からの目線を受ける場所は自然に綺麗になる。

美形は美形である事を褒められればやる気が出て余計に外見を磨き上げる事を努力するから、さらに美しさを増して美形になる。という好循環が生まれる。

部屋に関しても同じ事が言えるだろう。他者からの注目というのはそれだけ多きな力を持つのである。

逆説的に考えるのならば、「多少無理やりにでも他者からの注目を浴びるように仕向ければ、視線の対象のレベルは底上げされる」という言い方もできるだろう。

そう考えるのならば、自分の外見と似つかわしくなくてもブランドものカッコイイ服装に身を包むなどの戦略もアリという事になるだろう。それに伴って多少は外見的な価値も向上するだろう。

知らず知らずに意識している他者の目線

なぜあの人はあんな趣味を持っているのだろう?

こんな所にまでこだわるなんて不思議!!

なんて感想は幾度となく私は思った事がある。

その理由としては、その人の人間関係から来る他者の目線って奴が私とはまるで違ったからなのだろう。

人は自分では気が付かないけれども、他者の評価というものに驚くほど影響される。

小さい頃の家庭ならば父と母の評価こそが絶対だし、学生ならば好きな人の評価がそれに当たるだろうし、社会に出れば権力者や利益を生む存在の動向の操り人形になるだろう。

それを知っておくと、他者の視線を誘導し、自分の都合の良いように他者と自分を操る。なんてことも可能になってくるのだろう。

インテリアと話が全然違う所へ向かってしまった。

他者の視線を受ける事によって自分という存在も全然予想の付かない所へと運ばれていくのだろう。

まぁでも自分の部屋のインテリアが綺麗だと友達を呼びやすいから便利でいいですよね。

間接照明とか、名前だけでオシャレでネタになりそうですよね。なんだろう間接って。

こんな感じらしい。確かにオシャレ!!高級なカフェとかにありそう!!