信頼の基準について

何を持って人を信頼するのか?

明確な基準が私の頭の中にある訳ではないし、仮にあってもそれが確かだと言う事もできない。

少なくても私は「なんとなく」で相手を信頼するかどうかを決定しているのだ。

どうにも、そんな事実を改めて振り返ってみるとリスキーな事をやっているものだなぁ、と思う。

だって、その人を信頼するって事は場合によっては自分の心臓を握らせるような事件にも発展する行為である。

そんな自分の生命をいとも簡単に揺るがすような事件に繋がるような精神活動は、どうしてこんなに曖昧で基準がないのだろうか?

全くもって不思議であるが、結局いざという事態に陥らないと人間は反省もしないし考慮もしないから、明確な基準を持ち合わせる事もないのだろう。

「なんかいい感じ」

そんな私自身の感覚はきっととても大切な事なんだろうけれど、もっとドライな目線で綺麗に境界線を引いた上で他人を評価するって事もとても大切なんだろうな。


誰だって傷つきたくないから

保険って概念は生存確率を増やすために非常に重要だ。

一切自分に事故が起きないとしても、万が一のために人は保険会社に毎月お金を入金して、代わりに安心を手に入れる。転ばぬ杖は何本あってもありない。

そういった、料金を支払う形での保険とは別に、人は仕事や日常生活においても保険を作ろうとする。

例えば、保留。

どっちのプランにしようか迷っているし、近い将来もっと良いプランに遭遇できる可能性がそれなりに高いから、今のプランを他人に無理を言って保留する。自分が一番良いプランに乗って、より多くの利益を出すための戦略である。

勿論一概に悪い事だとは言わない。複数の選択肢を保有して、最適な手段を実践していくからこそ、利益と幸福を手に入れる事ができるのだから。

でもそれは「他人の待機」。それと「他人にリスクやコストを負わせている」という側面もある。

例えば、面接の合否。

採用側はできるだけ多くの人材と面談をして、より良い人材を確保したいと思う。

そしてそのために、たくさんの人と会う、そして全てに保留をかける。それも長い間。

その間、面接を受ける側は長い時間、ストレスを受け続けることになる。

無論、面接を受ける側としても、いつまでも気をもんで待ちぼうける訳にはいかないので、新たな会社へと面接へ行くのが妥当である。

だが、結果を待ち続ける時間というのは、やはりどうしてもストレスなのである。その辺のリスクを軽視するのは、良い行為ではないだろう。
(また場合によって、は一つの結果が出るまでは、待機しなければいけない事もあるので、その場合のストレスは尋常ではないだろう)

予定変更を乱発するのも、絶対に良くない。

「どうせ会う日にちは一回だけなんだから、問題ないでしょ?」とか思われる人がいるのかは定かではないが、予定を調整するコスト、というのは人によっては大ダメージである。

予定を調整するコストだけではなく、予定が変更されるストレスだってある。俊敏に動き続ける未来を逐一追い続けるのは、今日の眠りを脅かす。

そんな流れで、「仮」を多用するのも頂けない。「仮採用」とか。なんだよ仮って。採用なのか、そうじゃないのか、はっきりすればいいと思う。

保身が相手を傷つける

自分の身を守る事は勿論大事な事だ。

だが、自分の身を守ろうとするあまり、他人を深く傷つけたり、迷惑を掛けたりしてしまい、最終的にはその人からの信頼を失う事にもなりかねない。

過度な防御は、言ってしまえば拒絶のポーズに他ならないので、コミュニケーションにおいては乱発は反則みたいな物である。

いかに己を曝け出すか、いかに自分がリスクを負うか、いかに相手の状況を慮るか。

人は案外を人をよく見るものであるから、結局はそういう些細な気遣いで「人を信頼するかどうか」を決定していくのだと思う。

保身や保険は安全のための行為なのだろう。

しかし、周囲に誰も自分の味方になってくれる人間がいない状態のどこが安全なのか。

そして、周囲が味方になってくれる時というのは、自分がリスクを負った時である。

その辺の天秤をよく考えて行動していこうと思う。

【保険商品については吟味して自分本位のプランを考えるのは大切だと思います】