下には下がいる

実際問題、本当かどうかはわからないんだけど、できる人ってもっと上を目指そうとするし、ダメな人は自分よりもダメな人の批判ばかりをしている気がする。

そんなテーマを掲げてしまったら、このブログ記事を書いている私は、ダメな人の部類に入ってしまうのでは?とも思ったけれど、まぁその辺は「重要な事実を指摘する」という点において非常に社会的意義のある行為ができるいるのだから、目を瞑ってもらう事にする。

「私よりも、もっと酷い人はいるんだから、私は全然マシなんだよ!」

こういう主張を最近聞いた。

確かにその人の話を聞く限りでは、その悪い人の話は酷い有様であって、本当にそんな人間がこの世に存在してもいいのか?という憤りを感じざるを得なかった。

で、不思議な事に、その酷い人の話を聞いた後だと、今現在直接対面している人が結構いいヤツに見えてしまったりするのだ。

実際は悪い奴ではないにせよ、特別に尊敬に値するような良い人間ではない。

ただ、いつも悪い事をしている人がたまに良いことをすると、すごくいいヤツに見える原理や、ジャイアン映画版の原理と呼称される原理が、今回のケースでも近しい働きをしているのかもしれないと思った。

別に本人が悪い事をする必要はない。ただその人の脳内に悪い情報を与えて、その後に比較によって自分を良い人間だと印象付けれは良いのだ!という考え方においては、先に挙げた例よりも卑劣な方法かもしれない。

どこかにいる知らない悪人からすれば溜まったものではないだろう。何もお前の株を上げるための、俺は悪い事をしてきた訳じゃない!って感じだろう。


悪口の効能

この手法はそこそこ有効なんじゃないかと思う。

世の中に悪い人がいるからこそ、良い人間が存在するのである。

ならば架空でもよいから悪い人間を作り出して、それを自分が凌駕すれば、私は良い人間になる!という考え方は比較が大好きである人間ならば簡単に騙されるだろうし、非常に大きな効果が見込める。

スーパーとかでも、最初にわざととんでもなく高い金額を表示して、そこに二重線を引いて価格を落とすとスッゴイ良く売れる!って方法があったじゃん。アレと同じなんだよな。

まぁ、有効なんだろうけれど、それを多用するとあんまり良い事はないだろう。聞く側だってそこまでバカではないから、ちゃんと今まで実際に会った事のある人と比べてその人を判断しようとする。何より悪い人の話なんていつまでも聞いていて楽しいものでもない。

そして何よりも気を付けなければいけないのは、本人であると思う。

要はその本人がまるで成長できなくなってしまうのである。

なぜならば、自分よりも低い人間の悪口ばかりを言っているだけなのだから、精神的な優越感は得られるかもしれないけれど、実際の能力は何ら上昇しないのであるから、いずれは周囲の人間の大きな差を付けられることになるだろう。

他人の悪口ばかり言うって事は、自分が努力しなくて済む方法でもあるので、危険である。という事だ。

そういう理由で、できる人はできる人の話をするし、ダメな人はダメな人の話をするのだろう。

できる人はさらに努力を重ねるし、ダメな人は余計に怠惰になる。

その習慣の積み重ねが、大きく人生を分けるのだろう。

嘘の賛美は自分を伸ばす

だからこそ、嘘でもいいから他人を褒めるってのは大切なのだろう。

仮に嘘でもその人の良い所が見つかれば、それは自分が努力する余地が見つかる事で同義である。

よって、やるべき事がたくさん見つかるし、勝利できる可能性も上昇するから、努力する事が楽しくなるという好循環だ。

少なくても、自分よりもダメな人の話ばかりする人には警戒した方がいいかもしれない。きっとその人がもたらしてくれる物は少ないし悪いだろう。

そのためのファーストステップとして、他者を嘘でもいいから褒めてみる事は良いキッカケになるのだろう。

【昔の人は大地までをも褒めていた!大地は偉大!】