疑問の雲、解決による晴天

疑問が浮かぶ。きっと浮かんだ事があるだろう。そして疑問は浮かぶと晴らしたくなる。自分で浮かばしといて、それを晴らさなければスッキリしないのであるから、不思議なものである。モヤモヤしたくないならば、疑問を浮かばせなければいいのに。

とは言っても、浮かんだ疑問を晴らす気持ち良さは、まさに雨雲を自分の気合で吹き飛ばし快晴の青空へと変化させてしまう程の気持ちよさなのだろう。気合で雲を吹き飛ばした経験がある方ならば、今の例えに納得してくれるはずである。

浮かんだ疑問は晴らしたいのが人情である。やっとの思いで晴らした脳みその中は爽快であり、また聡明になっている事であろう。疑問を解消する事は知識の増大と知恵の拡充をもたらす。わかる事が多い人間は頭が良いと言われるし、わからない事を即座にわかる事にする事ができる人も頭がいいと言われる。そのどちらの観点から考えても、疑問を解消する事は頭を良くする行為だと言えるだろう。


合点が生む疑問

独りで浮かべた疑問を独りで合点が行くまで調査して調べる。そうすると頭が良くなる。

知っている知識や知恵が増えていくと、様々な事に気が付くようになる。歴史でも科学でもデザインでもいい。新しい分野を知るという事は新しい観点を手に入れるという事であり、その分だけ一つの物事に対して複数の解釈を行う事ができるという事である。

一つの物事に対して複数の解釈を行う事ができると、新たな疑問が生まれる。

例えば、りんご一つ取っても、「りんごの歴史」「りんごの栄養素」「りんごの色と形」など観点を持つ事ができるし、その観点を持てば疑問の雲は瞬く間に増殖を始めるのである。

知的好奇心が胸を圧迫して居ても立ってもいられないタイプの人間は、その疑問の雲をただ眺めている事なんてできない。疑問を晴らす事によって、新たな雲が生まれるのであるが、そんな事はお構いなしにただ目の前にある雲を晴らす事に夢中になり、それを喜びとする。

知の喜びは無限大

それの繰り返しの結果が秀才または天才となり得るのだろう。辿り着いた境地の景色にも、きっと無数の雲は浮かんでいるのだろうが、それでも晴れ晴れとした景色は圧巻であろうし、浮かぶ雲もまた一つの彩りなのだろう。

疑問は疑問を生み、合点の先に合点がある。たった独りの脳内空間の中に果てしないリサイクル構造が存在し、果てしない宇宙が存在する。

疑問は嬉しい事であり、思考は楽しいものであり、合点は気持ちが良いものである。そして無限に近い動きをするリサイクル構造が脳内にはあるのだ。